和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

理想の老後 (3)

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余力と燃え尽き

妻と私にとっての老後の課題。お金と健康については前回及び前々回の記事で触れました。

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残る課題は生きがいです。お金と健康の不安が無かったとして、リタイアしてから残された時間を何に費やすのか。そのことについて私は、先の二つの課題に比べてあまり真剣に向き合ってきませんでした。

 

若い頃に妻と私が話していた理想の老後は、お金や健康の心配をすること無く、夫婦水入らず楽しく過ごすと言うものでした。そこには、“どのように”と言う具体的なイメージはありませんでした。また、妻も私も、それぞれの老後時間の使い方にまで考えが及んでいなかったのです。

 

私の父が無くなってしばらく経ってから、母は、自分より先に父が逝ってくれて良かったと言いました。リタイア後、隠居生活を始めた両親は老後生活を楽しんではいましたが、それは、母が主体のものでした。外食や旅行の段取りは全て母が行ない、父はそれに従うだけ。何も予定の無い日でも、母は編み物やペン習字など趣味に没頭する傍らで、父はただテレビの前で時間を潰していたと言います。

 

もし、父が残された側だったとしたら、どんな老後生活を送っていただろうか。母の話を聞いた時に、私は大袈裟では無く、ぞっとしたのを覚えています。テレビの前に置物のように座り続ける老人の姿を想像した時、自分の一生の最終章をそんな風に終わらせたくないと思いました。

 

ただ、今考えると、当時の父は、必死に存続に努めていた事業を諦めた後で、精神的に疲れ切っていたのだと思います。リタイアするまでの数年の間に頭髪は真っ白になり、溌剌としていた容姿は老人のそれに変わり果ててしまいました。風光明媚な土地で悠々と老後生活を送れたはずなのに、その前に燃え尽きてしまったのでしょう。

 

対する母の方も、父と一緒に苦しんでいたのでしょうが、こちらは人生を楽しむための余力を残して老後生活を始め、数年で蓄えのほとんどを使い果たすほどに楽しんでいたようです。

 

老後の原動力

会社のOB会 - 昨年、今年と休止していますが – では、やることが無くて暇だと愚痴をこぼすOBが多いのですが、その愚痴が本当か嘘かはともかく、折角手に入った自由時間の使い道に困るようなことだけは避けたいと、私は考えます。

 

歳を取ってまで苦労はしたくない。誰でもそう考えて老後の準備を進めているのでしょうが、苦労さえしなければ豊かな老後生活が送れるかと言うと、それは違います。お金や健康面で不満や不安が無くても、日々無為に過ごすのでは、何の張り合いも感じることは出来ないと思うのです。明日が来るのが楽しみ – そんな老後生活を送りたいものです。

 

義理の姉夫婦は、退職後しばらくは毎日の単調な生活を嘆いていましたが、今は市民農園での野菜の栽培が生きがいになっているようです。夫婦で土いじりを楽しみ、自分たちで育てたものを食するとは、とても素敵な生き方です。

 

会社の大先輩は、方々に顔が広く、世話好きな性格から、俳句団体の事務長や絵画倶楽部の世話役を任されて忙しくしています。先輩がボランティアで引き受けた仕事を嬉々として続けていられるのは、本当に好きだからだと思います。

 

姉夫婦にしても先輩にしても、心底打ち込めるものを見つけられたからこそ、老後生活が生き生きとしたものになっているのでしょう。

 

老後生活の始まりが見えて来た私にとって、お金と健康の二つが健全であることは安全装置にはなりますが、それだけでは、残りの時間を楽しむための原動力にはならないと考えるようになりました。自分を突き動かすもの、時間を忘れて没頭できるもの、そのような生きがいが必要なのだと思います。

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私が約2か月間の介護休業を取得したことは、前回の記事に書いたとおりですが、その間の時間はとてもゆったりと流れました。家事と妻の世話や通院の付き添いをしていると、決して暇と言うことは無く、むしろ忙しい毎日ではあったのですが、それでも時間が“ゆったり”と感じられたのは、別の何かに追い立てられる窮屈さが無く、自分のやりたいことに専念出来ていたからなのだと思います。そのため、日々の忙しさを楽しめる自分がいたのです。

 

自分にとってのライフワークを見つけることに加えて、忙しくても安らぎを感じられるような老後生活。まだ私は自分にとっての“ザ・老後生活”を探す旅の途中にいます。