感謝する喜び (3)

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やりたいことリスト

妻は元々心配性で、物事を悪い方に考えがちです。病気の宣告からこれまで、先々のことについていろいろ考えていたはずです。妻が、病気への不安や自分の死について口に出さないのは、それによって私や娘たちとの関係性が、“家族同士”から“患者と介護者”へと変化することを避けたいからなのだと思います。病名が分かってから、何度となく妻は「普段どおりに接してほしい」と言います。それは、妻がいつまでも家族同士の関係を維持したいからなのでしょう。

 

以前、妻と私で書き始めた「エンディングノート」は途中から全く進まず、埃を被ったまま放置されています。勢いで書き始めたものの、私たちが自らのエンディングについてきちんとイメージ出来ていなかったことが理由でした。筆が止まった後、妻の病気や私自身の体調不良が重なったことから、エンディングノートは棚上げしたままになっています。終活よりも先に、病気を治すと言う大きな目標が出来たからです。

 

今、妻は、治療が終わったらやりたいことをリストアップしています。リストには今まで訪れたことの無い観光地などの名前が並んでいます。それらをひとつひとつ叶えることが、妻の希望でもあり私の楽しみでもあります。

 

老後よりも今

身内の病気もさることながら、自分が体調不良になると気弱になってしまうものです。昨年私は、3月上旬に酷い風邪に罹り、7月には尿路感染症で高熱と排尿障害に悩まされました。後者については、発病のしばらく前から夜中にトイレに行く回数が増え、また不快な残尿感が続きました。医師からは老化が一因と言われ、病気と同じくらいショックを受けました。また、従姉が亡くなったことも重なり、普段あまり意識しないことを考えるようになりました。

 

過去の記事で何度か触れましたが、私の父親が亡くなったのは66歳の時でした。母は「年金の元を取る前に死んだ」と半分冗談、半分本気で言っています。しかし、お金のことよりも、父にとっては、楽しむべき老後があまりにも短かったことが悔しかったに違いないと私は想像します。

 

他方、私の祖父は91歳で亡くなりました。私が高校生の時でした。その歳まで生きていたのですから、大往生と言って良いのでしょうが、晩年は養護施設で寝たきりの生活だったことを考えると、長生きが必ずしも本人にとって幸せなこととは限りません。

 

あと何年、自分の体の自由が利き、誰の世話にもならずに行動できるか。大分前の記事で「健康寿命」について触れましたが、自分が期待するほど健康寿命は長くないかもしれません。

lambamirstan.hatenablog.com 

私は、「いずれ自由な時間ができたらやろう」と思っていることがあるなら、後回しせずに今から時間を作ってでもやり始めるべきだと考えるようになりました。私にとって、それは妻との旅行であったり、自分の趣味であったりします。

 

一寸先は闇なのだからと刹那的に生きるつもりはありませんが、“楽しみは老後に取っておこう”と言う考えは無くなりました。楽しみたいことがあるのなら、できるだけ早くに実現できるようにしたいと思っています。

 

生かされていることに感謝

どんなに長生きしたくても、自分の寿命は自分でどうにかなるものではありません。私は人並に健康には気をつけているつもりですが、それでも予期しない病気に罹ることもあるでしょう。仮に、どんなに健康な体を維持できていたとしても、不慮の事故や事件に巻き込まれて命を落とさないとも限りません。結局、人の人生など何が起こるか分からないのです。明日自分が生きている保証などありません。

 

かつて私は、仕事の重圧から自死を考えたことがあります。その時は、目の前の苦しさから逃れたいと言う思いで頭が一杯で、生きるための希望が見えなくなっていました。

 

今、妻の「やりたいことリスト」を一つ一つ一緒に叶えることが自分の役目となりました。とは言え、自分が妻の役に立っているとか、妻に有難がってもらっているなどと傲慢な考えはありません。“妻を支える自分の姿”など、自己満足でしかないのは分かっています。それでも、苦痛や不安を分かち合うことが出来ない自分にとっては、妻の希望が私の希望でもあるのです。だから、私は心から、“まだ死にたくない”と思っています。

 

今こうしてブログの記事を書いている自分は幸運です。何事も無く一日を生きているからです。そう考えると、私は“生きている”と言うよりも、幸運と希望によって“生かされてる”と言った方が良いのかもしれません。生かされていることを有難いと思える心があれば、この瞬間、自分がここにいる奇跡につながるもの全てに対して感謝する気持ちが湧いてきます。

 

それは、家族や知人だけではありません。日々口にする物、灯りや温もり、空気や水でさえ感謝の対象です。それらに対して感謝できること自体が有難いことなのです。