和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ポジティブな生き方

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生き方を決めるのは自分

私はブログを始めるようになってから、自分の心の状態を客観的に見ることが出来るようになったと思います。それは、頭の中に受かんできたことを文章化する過程で自分の本音と対話をし、問いかけを行なう時間が増えたからだと考えます。また、他のブロガーの方々の記事を拝読することにより、自身への励みや反省のきっかけにもなっています。

 

ブログ開始からの約2年間で、私を取り巻く環境も大きく変わりました。それに伴って、仕事や家族への向き合い方を再考し、家族が生活の中心であることを今まで以上に意識するようになりました。

 

私の精神状態は今まで生きて来た中で最も安定していると言えます。もちろん、生きていれば、ちょっとしたことでイラっとすることはありますが、負の感情を長く引き摺るようなことは無くなりました。

 

結局、ポジティブに生きるかネガティブに生きるかは自分が決めるしかないのですが、私は50代半ばに差しかかろうとする今、ようやくそんな当たり前のことに気がつきました。

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空元気

私が気づいた“ポジティブな生き方”とは、つらく苦しい状況の中でも自分を鼓舞し続けて乗り切ろうとするのとは少し違います。

 

自分の選んだ道が最善だと自信を持つこと、自分の判断を肯定すること、それをポジティブと考えるようにしました。

 

私は去る3月に管理職を下りましたが、それは、介護休業に入るための、自分なりに下した決断でした。その半年余り前、妻の闘病生活が始まった頃に、私は、何が最善の選択なのか自問自答を繰り返していました。

 

妻や娘たちに対して私は何が出来るのか、会社や部下に対して私はどうあるべきなのか - 家族の期待や仕事の責任をどうしたら両立できるかと言う問題。そして、私自身の欲も頭に浮かびます。今の部署で何とか達成感を味わえるような成果を上げたい。

 

自分の理性的な部分ではしばらく煩悶していましたが、私の本音はすでに答えを教えてくれていました。「私は妻に寄り添いたい」 - 何度考えても答えは同じでした。

 

もし、私が自分の本音との対話をしないでいたなら、結論は全く違ったものになっていたはずです。妻の介護と管理職としての責任。大変だけど何とかなる。自分自身を叱咤激励し、仕事と介護を両立させようと躍起になっていたに違いありません。

 

かつての私は、抱えている全ての問題を解決することを考えていたはずです。しかも、それは計画性とは無縁の、根拠の無い自信や、“何とかなる”と言う楽観に基づく考えだったと思います。

 

自分を追い込むことで、持てる力を最大限に発揮できる人もいるのでしょうが、私には向いていませんでした。“うまく行っている”、と空元気で言い聞かせる自分がいる一方で、疲労困憊して逃げ出したいと思っている自分も - 今までは目を背けてきましたが – そこにいたのです。

 

自分の望まない状況に追い込んでいる自分を、もう一人の、後悔している自分がいる。そんなことを、過去何十年も繰り返してきたのでした。

 

シンプルかつポジティブに生きる

実際に私が下した決断は、“両立”では無く、“選択”でした。自分が一番やりたいことに専心することを選んだのです。

 

全てを上手く回そうとする必要は無い。何か一つ、自分の思ったとおりに、後で悔やんだりすることの無いようにやり遂げたい。それが、私の本音が語った答えであり、選ぶべき道は、妻に寄り添うことでした。

 

そして、私にとって捨てるものは、キャリアと役職に紐づく責任でした。一層の承認欲求や達成感の希求が頭の片隅に残っていたのは確かです。しかし、自分はこれまで、干されては拾われることを繰り返してきた身。良い上司や同僚に恵まれて、ここまで来れただけで好運なわけですから、これで一区切りつけても良いのではないかと考えました。

 

また、役職と責任は、他の相応しい誰かに引き継げば良いだけの話です。私は、余人をもって代えられる“会社員A”なのです。「与えられた職務は全うしなければならない」、「途中で責任を放棄するなどもってのほか」。そのような思い込みは脇に退けることにしました。

 

自分のやりたいことに注力する。至ってシンプルな考えですが、今までの私にはその発想も、その勇気もありませんでした。それを可能にしたのは、会社人生の常識から一歩引いてみることで、常識の非常識さに呪縛され続けてきた自分を解き放つことを知ったからだと思います。

 

そして、自分の選んだ道に対して肯定感を抱くことが出来たのも自信の裏付けになりました。これが、苦渋の選択の結果、自分の大切な何かを犠牲にするものだとしたら、私はこれから先、後悔しながら生きて行くことになったでしょう。

 

悔いを残さないような選択を行なうこと、そして、それをポジティブに受け止めること。この歳になって、ようやく私は大切なことを知りました。