和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

叶わぬ期待の代償

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サンクコストの泥沼

会社の事業でもプライベートなことでも、サンクコストに引き摺られて判断を誤ってしまうことが往々にしてあります。頭では分かっているのに、それまでに費やした努力や時間やお金に拘泥し、それらを取り戻す当ても無いのに見切りをつけられない状態に陥ります。その状態が長引けば長引くほど、一層見切りをつけることに躊躇してしまう泥沼にはまってしまいます。

 

高いお金を払って見始めた映画や劇。途中でつまらないことに気がついても、きっとこれから面白くなると期待を持ちながら最後まで見続けて、結局はつまらなかったと落胆して帰途につく。そんな後悔は誰でも一度や二度は経験したことがあるでしょう。

 

つまらないものを「きっとこれから面白くなるはず」と自分に言い聞かせるのは、“元を取ろう”とする心理が働いているからだと思います。もし、そんな自分の様子を第三者の目で見たなら、不満を感じながらその場を動かない方が、時間がもったいないと思うのではないでしょうか。

 

かく言う私も、これまでに何度もサンクコストの沼に囚われた経験があります。また、自分と似たような経験をした人を何人も見てきました。

 

 

私の勤め先では、私が入社する以前に立ち上げ、数十年もの間、会社のお荷物となってきたプロジェクトがありました。先見性のある事業。これから大化けして、将来何十年も“従業員を食べさせ続けることが出来る”事業。ここで手放してしまえば、先人たちの過去の努力が水の泡になってしまう – そう言われ続けて、結局は最近になってその事業をタダ同然で売り払ってしまいました。

 

私にも経験がありますが、自分の任された仕事は、誰の目からも見込みが無いものに見えても、担当している本人は「まだ何とかなる」、「他に良い手立てがあるはず」と、存続することに必死になります。自分の時間を削って、時にはプライベートを犠牲にして取り組んできた仕事が目の前で座礁するのを見たくないのです。自分の努力が水の泡になるのを見たくないのです。

 

取り組んできたプロジェクトにかけた努力や時間が、大きく長くなればなるほど、まるで自分の子供を育てているような錯覚に陥ります。プロジェクトの成否は会社への貢献度を定量的に測れれば簡単なのですが、そこに、携わってきた人間の“愛着”が関わってくると、単純な判断が出来なくなってしまいます。

 

上述のプロジェクトも、歴史が長いだけ関与して来た人間の数も多く、その中には役員になっている者も含まれます。冷静な判断を下すべき経営陣の中に“関係者”が多数含まれていては、死に体のプロジェクトに終止符を打つことは難しいのです。

 

結局、そのプロジェクトは、“物言う株主”からの突き上げや、会社の財務状況の逼迫などの“お陰”でようやく幕引きとなりましたが、サンクコストを取り戻そうとして、それ以上の無駄な資金的・人的リソースを費やした結果になってしまいました。

 

会社としては、ポートフォリオの入れ替えを行ない、将来、収益の柱になる事業を再び立ち上げることが出来るかもしれません。しかし、不良プロジェクトの延命に付き合わされてきた社員の多くは、成功体験を得られないまま会社人生を終えてしまいました。使ってしまった時間は取り戻せないのです。

 

見切りと立て直し

上の娘の小学生時代の同級生の話です。娘はその同級生から誘われて、小学1年の頃からピアノ教室に通い始めましたが、私の海外赴任の際にピアノ教室を辞めました。

 

中古ながら結構な値段だった電子ピアノは駐在地まで運びましたが、娘は見向きもしなくなりました。妻は、駐在先で、ピアノの先生を探すつもりだったようですが、当の本人にその気が無ければ始まりません。

 

私は娘に、何故ピアノに興味が無くなったのか尋ねたところ、仲の良い友達に誘われたから一緒にピアノ教室に通っていただけだと言いました。決してピアノが好きだったわけでは無かったようです。

 

妻は、数年間も払い続けて来た月謝がもったいないと愚痴をこぼしましたが、結局は、私たちは娘にピアノを習い続けることを無理強いはしませんでした。これまでピアノに注いできた力を別の可能性に振り向けれくれればいいと思いました。

 

さて、一方の娘の同級生とは帰国後も母子ともどもお付き合いさせてもらっていたため、お互いの近況を伝え合う仲が続いていました。同級生はピアノを続けていたのですが、残念ながら、希望する音楽大学の受験に2度失敗してしまいました。彼女の母親は、「これで諦めたら何のために今まで努力してきたのか分からない」と、3度目の正直を願っていたようですが、受験が近づく最中に離婚してしまいました。

 

そして、同級生は父親との生活を選び、音大受験どころかピアノも止めてしまい、美容の専門学校に進んだようです。

 

他所様の家庭の事情は分かりませんが、両親の離婚を機に、同級生が音楽の道と決別したと言うことは、それが全てを物語っているように感じました。もし、自分の娘の気持ちとは関係無しに、費やしてきたお金と時間がもったいないとの思いだけで娘に音楽の道を強いてきたのだとしたら、何と無駄な時間を過ごしてきたのだろうと思いました。

 

過去に投じたお金や時間。それに対する見返りや期待が叶わないと分かったなら、別の道を模索することは悪いことではありません。

 

むしろ、過去の未練に囚われてその場から動かないことの方が、時間を無駄にしてしまうこともあるのです。人生はやり直しがきかないもの。叶う当ての無い期待を持ち続けるよりも、リスタートのための立て直しに目を向けた方が良い結果が得られることもあるのではないかと考えます。