宣告
妻は毎年人間ドックを受診しているのですが、昨春のドックで左の乳房に大きな影が見つかり再検査を受けました。そして、7月の連休直前のある日、私と妻は住まいからほど近い総合病院を訪れました。
再検査の結果、妻は乳がんと診断されました。レントゲン写真に白く映る腫瘍の影はかなりの大きさです。主治医は、リンパ節への浸潤が認められること、また、他の臓器への転移 – ステージ4 - の可能性が高いことから、早急に追加の検査を受けるよう言いました。
私は主治医に、ステージ4だった場合にはどのような治療を行なうのか尋ねました。医師は、他の臓器への遠隔転移があれば手術は行なえず、化学療法や放射線治療での延命を図る以外方法は無いこと、その場合、平均寿命を全うするのは難しいことを聞かされました。
妻は自分が癌で、病状がかなり進行していることをどこかで覚悟していたのだと思います。主治医との面談の間、取り乱す様子も無く、むしろ、私の方が動揺していました。
病院からの帰り道、妻は私に謝りました。自分の病気で家族の生活が大きく変わってしまうことを気にかけていたようです。妻の言葉は私の耳には届いていましたが、むしろ私は、ここまで妻の病気に気づいてやれなかった自分を責めていました。一昨年のドックで乳腺炎と診断された際に、念のため別の病院で診てもらうこともできたのです。妻への気遣いが足りなかったことを思うと悔やんでも悔やみきれませんでした。
成長する家族
その翌週、妻は追加の検査を受け、8月の初旬に結果を聞くために、再び夫婦で病院を訪れました。この間、娘たちにはまだ何も話をしていませんでした。二人とも子供ではないので、妻の病状について包み隠さずに説明するつもりではいたものの、どのように話すべきか逡巡しているうちに検査結果を聞く日になってしまったのです。
追加検査の結果、妻の体には遠隔転移は認められず、ステージ3と正式に診断されました。主治医からは、今後、通院により数回に亘る抗がん剤投与の後、手術を行なうとの説明を受けました。
その夜、私と妻は娘たちに妻の病状とこれからの治療について説明しました。9月の上旬に最初の抗がん剤投与を行ない、それから翌春の手術までの間、3週間おきにそれ繰り返すこととなります。私は、娘たちが動揺して泣き出すのではないかと思っていましたが、意外にも彼女たちは、家事や妻の通院時の付き添いを申し出てくれました。
妻は勤め先に休職願いを出しました。最初妻は、治療を行ないながら仕事も続けるつもりでいました。しかし、治療に専念してもらいたいこととと、通勤途上や職場での新型コロナへの感染リスクもあることから、私と娘たちで妻を説得しました。
8月の下旬に看護師によるオリエンテーションがあり、抗がん剤の副作用や、生活面での注意事項について説明を受けました。主な副作用として、吐き気、倦怠感、発熱、脱毛があり、また免疫力の低下も伴います。本人は当然ながら、家族も感染症に罹患しないよう注意が必要です。乳がんに関する知識など無いに等しい私たち。それから本を買い漁り、病院から渡された冊子を頼りににわか勉強を開始しました。
有難いことに、母親の病気が娘たちの成長を後押ししました。親子同居の場合、親への依存はある程度は止むを得ないことと考えていました。ところが、誰かを頼る立場から頼られる立場へと変わることで、彼女たちにも家族の一員としての責任感が芽生えたのだと思います。
葛藤の先にあるもの
妻が治療に専念できるために、私や娘たちは何ができるのだろうか。精神的な支えとなるのは当たり前のこととしても、どこまで物理的なサポートが必要なのか皆目見当がつきませんでした。
主治医や看護師に聞いても、抗がん剤の副作用は人によって様々との答えしか返って来ません。結局、妻の様子を見てみないと、どの程度の介助が必要なのかは分らないと言うことのようでした。
元来私は器用な人間ではありません。仕事をしている最中にも妻の様子が気になることでしょう。妻の看病をしている頭の中で仕事の段取りを考えているかもしれません。どれも中途半端になることが分かっていました。
そのような自分の性格から、私はその時点で仕事を辞めるか否か悩んでいました。しかし、そんな話をすれば妻は猛反対するでしょうし、自分のせいで私が仕事を辞めたと思い詰めてしまうかもしれません。それでは、妻には治療に専念してもらいたいと言う私の願いとは逆効果になってしまいます。
そこで私は、退職はしないまでも仕事を減らすことを考えました。また、会社には家族の看病のための介護休業の制度もあります。その上で、必要であれば改めて仕事を辞めることを考えようと思いました。
妻の病気のことを上司である担当役員に話したところ、状況は理解してもらえましたが、管理職から外してほしいとの私の申し出には、後任を見つけるための時間が必要との理由で即座の対応には難色を示されました。定期異動以外で人を動かすのが面倒くさいだけなのだと察しはつきましたが、部下がこんな状況でも上司の重い腰は動きそうにありません。その一方で、人事部と介護休業の話を進め、妻の手術後から休業に入ることを知らせておきました。
直属の部下である課長二人は、私が事情を説明すると、すぐに業務の引継ぎを進めることを提案してくれました。
会社に状況を話した途端、まだ仕掛中の仕事は残っていたものの、妻の看病に注力できる目途が立ったためでしょうか、それまで感じていた胸の重みのようなものがふと取り除かれた気がしました。
葛藤はあったものの、30年近い会社人生から降りることを自分でも不思議なほどあっさりと決断しました。もちろん、まだ退職をしたわけではありませんが、本当の意味で家族のために生きる道を選ぶことができたのは幸いでした。(続く)