和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

家事の基本

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おせち料理

妻が闘病生活に入る前まで、家事の分担は阿吽の呼吸で行ってきました。予め役割分担を決めていても、お互いの仕事の都合で予定どおりに家事を行なえないこともしばしばで、結局は出来る方が出来ることをやることで落ち着いたのでした。

 

しかし、共働き夫婦とは言いながらも、家にいる時間は私の方が短く、平日の家事の負担は自ずと妻に偏りがちでした。そのような状況に何となく気が引けていた私は、週末の家事一切を任せてもらうことで自分の足りない分を挽回してバランスを取っていたつもりになっていました。

 

それでも、おせち料理は必ず夫婦共同で作り続けていました。普段の料理は娘たちにも手伝ってもらうことはありましたが、おせち料理作りは夫婦二人だけの楽しみにしていました。煮豆と伊達巻は妻担当、なますと栗きんとん、それに煮豚は私の担当。あとはデパ地下などでいくつか単品を調達し、それらを私の実家の“お下がり”のお重に詰めれば我が家のおせち料理の完成です。

 

そんなおせち料理ですが、この二年は、妻監修の下、私が作るようになりました。妻は抗がん剤の影響で出血すると血が止まりにくくなっているので、刃物を使う調理はさせないようにしています。とは言え、私の料理の腕前に不安があるのか、キッチンに私の様子を頻繁に来ては、私の味付けに一言二言注文を付けては下がって行きます。

 

昨年末は定番のおせち料理の他、最寄り駅近くのフレンチレストランのおせち料理を注文しました。これは、妻が一度訪れたいと言っていた店だったのですが、治療中の妻の体調の波と家族四人の予定が上手く合わずに妻の希望が叶わなかったので、その代わりにと、娘たちと私が考えたことでした。

 

無償の貢献

晦日の夜、突然テレビが壊れてしまったので、家族が交代でそれぞれのお気に入りのアルバムをBGMで流しての年越しとなりました。元旦の朝も同じく、それぞれの好きな曲を聞きながらの食事となりました。

 

雲一つ無い快晴。妻はせっかくの天気だから初詣に行きたいと言いました。顔色も良さそうなので、散歩も兼ねて近くの神社に参拝することにしました。今の私は、妻がやりたいことがあればすぐに叶えてやりたいと思っています。些細な希望でも先送りはしません。

 

思うに、この二年の私の家事と妻の介護は、彼女に対しての長年の“借り”を返す行為だったのかもしれません。

 

妻が乳がんと診断され、ステージ3まで進行していると知り、私は妻が人間ドックを受診した病院を恨みました。何のための検診なのか、どうしてそこまで病状が進行しているのを発見出来なかったのか、と。

 

しかし、時間と共に、私は自分自身を恨むようになりました。妻が乳房にしこりがあると言った時、私は、“また乳腺炎なの”と尋ねたことを覚えています。妻は何度か乳腺炎を繰り返していたため、私の口からは“また”と言う言葉が出たのです。あの時妻に、別の病院に診てもらうよう強く言っていたなら、違った結果になっていたかもしれません。

 

幸い、妻の手術は成功して、抗がん剤の治療も終わりが見えて来たところですが、妻の闘病を招いてしまった自分の判断の甘さと、これまでの妻の家事負担に対するある種の後ろめたさを拭い去れずにいました。

 

私が介護休業を取った頃、妻は、私が介護のために仕事を休んでいることに対して申し訳ないと言い、早く仕事に戻るように私を促しました。妻としては、自分の病気のために私が犠牲を強いられていると考えていたのだと思います。

 

妻がそんなことを考えていると知って、私は、「これは今までの借りを返すようなものだ」と説明しようとして、慌てて言葉を飲みました。

 

家事や家族へのサポートは貸し借りの問題では無く、ましてや義務でも無いと言うことが瞬時に頭に浮かびました。私が今行なっていることは贖罪であってはならず、家族に貸しを作ることであってもなりません。

 

自分の行なっている行為は、過去の不甲斐なさを許してもらったり、今の自分に感謝してもらったり ‐ そのような、家族からの見返りを期待するものでは無く、一方通行の貢献で良いのだと気づきました。

 

目の前に妻や娘たちがいて、自分の心が安らぎを覚えているのであれば、それで十分。そのような家族が日々生活するために必要なことを自分の出来る範囲で行えば良いと言う考えが頭に浮かびました。

 

私はすでに、妻や娘たちから多くのことを与えられているのです。空気のように気づかなかっただけで、家にいてほっと出来る時間を楽しんでいられるのも彼女たちのお陰です。そのような自分の感謝の気持ちを行為で表すこと – それが私の家事だと思うようになりました。