身近だった死
古典落語の演目で「死神」と言う噺があります。初めて「死神」を聞いた小学生の私は、人の命をロウソクに準えたその物語に、幼いながらも恐怖を感じました。もっとも、人生の意味も分かっていない子供のことですから、漠然と自分と言う存在がこの世から無くなってしまうことを怖がっていただけでした。
最近は、葬儀は近親者で行うことが多くなったようで、会社関係でお通夜や告別式に参列することはほとんど無くなりました。ひと昔前までは年に数回は喪服を着る時があり、ご遺族を前にお焼香を上げていると、嫌でも人の死を考えることになります。以前は、そのように死がとても身近なものでした。
やり残しの後悔と不安
昨年、私の従姉が亡くなりました。従姉は70代手前だったので、私よりも一回り以上も歳上でしたが、今の時代にしてみれば若死なのでしょう。ただ、私の目からは、彼女があの歳で他界したこと自体よりも、自分の娘と和解できないまま人生を終えてしまったことの方が残念だったと思います。
また、同じく昨年は、妻の発病や私自身の体調不良もあり、人生の残り時間の“使い方”について考えさせられました。
もちろん、身近な存在の死や自分自身の死が頭を掠めた時、死ぬ間際の身体的苦痛や喪失感、それらに対する漠然とした恐怖を思い浮かべなかったわけではありません。
しかし、妻との会話や私自身の内省を通して気がついたのは、私たちは死そのものを恐れているのでは無く、未だ成し遂げられていない希望を、自分たちに残された時間で達成できないのではないか、と言う不安を抱いていることでした。
やりたいことは先送りしない
これまで妻との間では、定年後に自由な時間が増えたら、いろいろなところに旅行したいと話をしていました。ありきたりですが、長い老後、夫婦で共通の趣味に興じるのも悪くないと思っていました。そして、その楽しみを後に取っておくことに、それまでは何の疑問も感じませんでした。
昨夏、抗がん剤の投与直前に、妻がポツリと言いました。「こんなことなら、我慢しなければ良かった」と。聞くと、何のことは無い、とあるホテルのデザートバイキングの話でした。甘党の妻でしたが、下の娘の大学受験の時期でもあり、願掛けも兼ねて、楽しみをしばらく“お預け”にしていたのです。その後、何となくタイミングが合わずに延び延びにしているうちに、新型コロナによる外出自粛や、主治医の先生からの感染予防に関する注意・指導のため、外食は当面断念せざるを得なくなりました。
妻の願いは子供じみたものでしたが、私にはそれを笑って受け流すことが出来なくなりました。私は妻にやりたいことを書き出すよう勧めました。今すぐには無理でも、抗がん剤の治療が終わり自粛生活が解かれたら、すぐに妻の希望を叶えてあげたいと思っています。
定年になったら。時間が出来たら。そのうちに。やりたいことを先送りすることは出来ても、人生の終わりを先送りすることは、私たちには出来ません。50代の今なら出来ることでも、10年後、20年後の自分たちには出来なくなっていることだってあるかもしれません。先送りして手つかずのまま時間切れになってしまったらそれまでです。
妻の「やりたいことリスト」は着々と数を増やしています。そのほとんどは食べ物か旅行に関する希望なのですが、私はそれを揶揄ったりはしません。
使える時間
妻の主治医の先生は、患者に対して無責任な励ましをしない代わりに、余計な不安を与えることもしません。妻が自分のステージの5年生存率を気にしていた時にこんなことを言われました。
「統計は統計でしかありません。大事なのは病気を治そうと言う意志です」、「健康な人でも、5年後に絶対に生きている保証などありません。今日、家までの帰りに車にひかれて死んでしまうことだってあるのですから」。
病気であろうと無かろうと、私たちはいつ死ぬか分からないわけです。詰まるところ、どんなに綿密な老後プランを立てても、全てを実現できる保証はどこにもないのです。
老後の“使える時間”を当てにするのは勝手ですが、やりたいことが何でもできる、本当に使える時間は案外短いのかもしれません。人生はあっという間に過ぎて行きます。
そう考えると、今目の前にある、この時間こそ大切に使うべきだと思います。理由無く老後まで取っておかずに、やりたいことはやれるうちにやる。それが、後になって慌てないための手立てです。