和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

時間とお金

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

募る不安

老後2000万円問題や45歳定年制など、将来の不安を掻き立てる話題に事欠きません。不安を払拭するために、働けるうちに働いておこう、お金を蓄えられるうちに蓄えておこうとなります。

 

定年の延長は、たとえ蓄えや受け取る年金が少なくても、仕事さえあれば今日明日の不安を先送り出来ると考えれば理に適っていると思います。それが、ここへ来て「45歳定年制」が報じられることにより、これから中高年時代を迎える人々にとっては、将来の不透明感がなおさら強くなったのではないでしょうか。

 

これまでの雇用延長の流れが、すぐに逆行するようなことは無いものと信じたいところですが、国が、長く働ける環境を整えることで、老後の備えに対する一層の自助努力を国民に強いる一方で、企業側は人件費がかさむ中高年を排除しようとする“せめぎ合い”は今後も続くことになるのでしょう。“排除”とまでは行かなくても、“若い世代の雇用確保のため”などともっともらしい理由をつけて、昇給カーブを抑えるなど、中高年にとっては頭の痛い時代がやって来ることを危惧します。

 

いずれにせよ、若い人々にとっては、足元の地固めと同様に将来のための準備が一層重要になることは間違い無いのでしょう。

 

働く理由

仮に、長く働ける環境が続いたとしても、それを一概に良しと言うことは出来ません。私の勤め先でも、役職定年、そして、“本当の”定年の後の再雇用と二段階で給料は下がります。前者はまだしも、後者は現役時代の給料が半減以下に目減りします。

 

そんなことは、会社の給与規程を読んでいる者なら承知の話なのですが、実際に定年を迎え、再雇用の嘱託としての給与を会社に提示されると憤慨する者もいます。仕事の中身も補助的なものになるので、“元管理職”の中にはプライドが保てずに会社を去る者もいます。

 

これまでの仕事にやりがいを感じていた人間にとって、やりがいを失ってしまっては会社にいる意味がありません。その場合、老後の準備が整っていたからこそ、会社を去ると言う選択が出来たのだと思います。

 

会社を後にした先輩や同僚が、その後どうしているか、全てを把握しているわけではありませんが、もし、新たにやりがいを見出すことが出来、それが生きる原動力になるならば最高です。私の先輩の中には、趣味と実益を兼ねて、とか、社会とのつながりを求めて別の仕事を始めた人もいます。

 

しかし、それは、どうしても働き続けなければならないと言う切羽詰まった状況で無いからこそ選べた道なのだと思います。もし、そうでないならば - 生きて行くために仕方なく仕事を続けるしかない、となると話は変わってきます。

 

生活の糧を得るためだけの仕事、その仕事をするためだけに生きている、となると何のために生きていることになるのでしょうか。どこかに向かうために自転車を漕いでいたはずが、転ぶことを恐れて自転車を漕ぎ続けていては、何が目的なのか分からなくなってしまいます。

 

時間とお金

結婚、子育て、住居取得など、大きなイベントがライフステージの後の方へ先送りされると、年金と蓄えの取り崩しで生活するはずの老後も先送りされてしまいます。

 

定年を迎えても、子どもがまだ学校に通っている年齢なら教育費の工面に頭を悩ませることになります。家族の憩いの場を手に入れても、ローンを抱えたままでは年金生活は立ち行かなくなるため、老後資金に充当すべき退職金を返済に充てたり、返済のために止む無く仕事を続けたりしなければならなくなります。

 

生きて行く上で、大概のものを手に入れるにはお金が必要ですが、働いてお金を稼ぐと言うことは、自分の時間を切り売りすることになるので、負債が無くならない限り時間の切り売りは続きます。また、日々の生活に汲々としている状態が続けば、時間の切り売りから抜け出すことは出来ません。

 

そうなると、「いつか時間が出来たら」、と先送りしていた楽しみを実現することはいつまで経っても叶わないことになります。あるいは、十分なお金を手に入れられたと思った頃には、楽しみを実現するための時間がわずかしか残っていないこともあるでしょうし、時間はあっても健康寿命が尽きている、と言うこともあり得ます。

 

十分なお金を蓄えられても、時間を買い戻すことは出来ません。手元にあるお金の使い道が無ければ、残された人生の時間は、「楽しい老後」では無く、ロウソクの火が消えるのを待つだけの余生になってしまいます。

 

お金を稼ぐ・蓄えることと、時間を使うこと、それぞれにメリハリを考えなければ、人生を謳歌することは出来ないのだと - 人生の折り返し地点に差し掛かってから、ようやく私はそう考えられるようになりました。