和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

熟柿が落ちるまで

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柿の思い出

まだ私が小学生の頃、家の庭に柿の木がありました。秋になると食べ頃の実を二つ三つもいでおやつにしていたのですが、ある年から庭にやって来る鳥に啄まれることが多くなりました。

 

今はビジネス街でも住宅街でもカラスの群れは珍しく無くなりましたが、私が子供の頃は、珍しく無い鳥と言えばスズメでした。

 

ところが、いつの頃からかスズメは滅多に見ることが無くなりました。カラスやムクドリの数が増えたため、スズメにとっては住みづらい世界になったのでしょう。

 

庭の柿の実を啄んでいたのがカラスなのかムクドリなのかは分かりませんが、一番の食べ頃の実は鳥たちに食べられ、私たち家族は食べ頃前の実をもいで家の中で熟れるのを待つようになりました。

 

しかし、子どもの私の舌でもどちらの実が美味しいかは分かります。いつしか、私にとって柿もぎは楽しみでは無くなってしまいました。

 

先日スーパーで美味しそうな柿を見かけ、そんな他愛無い昔のことを思い出しました。今の家には木を植えるようなスペースは無いので、自家栽培の果物を口にすることは一生無いのでしょうが、いつか機会があれば、慣熟した柿の実をもぎたてで食べてみたいと思います。

 

青いまま腐る実

好機を気長に待つことを「熟柿が落ちるまで」と例えることがありますが、勉強にしても仕事にしても、早く結果を出すことが期待される傾向が強い世の中で、“ゆっくり”や“気長”と言う言葉が入り込む余地は限られています。

 

成果主義の世界では大器晩成型の人間が評価される機会はなかなか訪れません。じっくりと柿の実が熟れるのを待つ余裕が会社にはありません。

 

会社の仕事では、目標を一度きり達成すればそれで終わりでは無く、毎年、自分で新たな目標を立ててそれを達成することを会社から要請されます。そして、無事目標を達成すれば高く評価され、目標未達にはバッテンがつきます。

 

管理部門では、業務の効率化がお決まりの目標ですが、ほとんど行き着くところまで来た効率化にさらに輪をかけて効率化を図ろうとしても、そう簡単には行きません。経費の節減と言っても限りがあります。それが達成できなければ、お約束の「できない病」の診断を下されます。

 

また、習熟のスピードは人それぞれです。それぞれがスキルや知識を身に着けるために適した速度があるはずなのですが、会社は社員に同じ速さで進むことを強います。枝に実った果実の熟れ具合など関係ありません。一年経ち、それまでに食べ頃の実をつけていない木はダメな木だとみなされてしまうのです。

 

着実に成長して、あともう少し育ててあげれば立派に熟すことが分かっていても、会社が理解を示さなければ、その実は枝にぶら下がったまま腐ってしまうことになります。

 

熟柿が落ちるまで待てない会社に失望して、別の道に進んだ者が新天地で才能を開花させた例は少なくありません。人材の開発はほんのちょっとした匙加減で有能な人間を活かすことも殺すこともできるのです。

 

鳥に横取りされる実

「熟柿が落ちるのを待つ」のは会社が忍耐力を備えれば良いだけ、と私は考えます。社員の成長を見守る余裕があれば、大器晩成型が花開く職場になることも不可能なことではありません。

 

それよりも、気をつけなければならないのは、熟れ頃を見逃してしまうことの方です。

 

若くて意欲のある社員も、本人の成長に合わせて役割を変えていかなければ、仕事に対する張り合いを失ってしまうことにもなり兼ねません。

 

私の勤め先では、いわゆる「就職氷河期」の数年間、新入社員の採用数を絞っていましたが、その間に何が起こったかと言うと、若手・中堅社員の流出でした。

 

職場で何年も自分の後輩が入って来なければ、いつまで経っても“下っ端”のポジションを抜け出すことが出来ません。部署の雑多な仕事を押し付けられ、やりがいのある仕事が回って来なければ、仕事を続けるモチベーションを維持することは困難です。

 

自分の能力に自信のある者は、新たな活躍の場を求めて会社を後にしました。有能な人間にとっては、売り手市場も買い手市場も関係無いのです。

 

会社が社員に対して成果を求め続けるのと同じく、社員 – 特に働き甲斐を強く求める社員は、会社に成長の糧を求めます。いつまでも同じ職場で下っ端扱いと言うのはもっての外ですが、定期的に異動させれば良いわけでは無く、やる気のある社員に刺激を与え続けなければ、飼い殺しをしているに等しいことになります。

 

熟して落ちた実を収穫しなければ鳥のエサになるか地べたで腐ってしまうだけなのです。