長い長い予定表 (3)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

理想の家族

私の知人で郊外の一戸建てに住んでいた人がいました。Fさんは私の大学の大先輩で、就職活動中のOB訪問でお世話になりました。結局、その会社は2次面接で落とされてしまったのですが、Fさんにお礼の電話をすると、「残念会をやろう」とご自宅へ招待されたのでした。

 

ご夫婦と小学生の男の子二人。庭付きの一戸建てを訪れた私は、正直羨ましいと思いました。当時、父の事業が破綻目前であったことから、家の売却も考えなければならなくなっていた時期でした。

 

Fさん宅は、都心から電車で1時間半以上の距離でしたが、バブル真っ盛りの頃に家を手に入れようとすると、通勤時間を犠牲にしなければ、普通の会社員が買えるような物件は見つかりませんでした。その意味で、Fさんのご自宅は、当時としては標準的なマイホームだったのだと思います。

 

お金を稼いで、家族を持ち、家を構える。自分の学費と生活費を賄うことで精一杯だった私にとっては、理想の家族像を見せられた気分でした。

 

Fさんとはそれ以来長くお会いすることはありませんでしたが、年賀状のやり取りだけは続いていました。最初の頃は、自宅をバックにした家族写真の年賀状でしたが、やがてお子さんたちが大きくなると、家族写真が出来合いの図柄に変わりました。そして、しばらく後のある年の瀬に、Fさんから喪中はがきが届きました。奥様がお亡くなりになったのでした。

 

今まで、年賀状のやり取りだけになってしまった相手から喪中はがきをもらっても、そのままにしていた私でしたが、Fさんには、気持ちばかりのお香典とお線香を送りました。直接お見舞いに伺うことも頭を過りましたが、30年近くも無沙汰していた自分を恥じる思いの方が強く、Fさんに合わせる顔が無いと言うのが正直な気持ちでした。

 

年が明けて、正月気分も抜けた頃、Fさんからお礼状が届きました。手紙には淡々と近況がつづられていました。お子さん二人がそれぞれ独立して所帯を持ち、孫の顔を見ることが楽しみになっていたこと。奥様と水入らずの生活が思いがけず終わってしまったこと。そして、近いうちに家を売って引っ越しをするので、その前に遊びに来てほしいと書かれていました。

 

夢を買うためのお金

Fさんの奥様がお亡くなりになったのは、その前年の春でした。一周忌を前にした3月のある日、私はFさん宅を訪れました。道中、これまでの不義理をどのように詫びようかと考えると、とても気が重かったのですが、最寄り駅の改札を出たところで再会したFさんは、そんなことは全く気にしない様子で、私は拍子抜けしてしまいました。

駅から急な坂道を歩くこと10分。以前訪れた時に、私の目に印象深く残っていたクリーム色の外壁は、時間の波に浚われてくすんでしまっていました。

 

案内された客間の片隅には、小さなテーブルの上に奥様の遺影とお骨が置かれていました。

 

奥様がご病気になられたのは、Fさんが定年退職した直後。余命数か月と宣告を受けたにも拘らず、その後闘病生活は3年余りに及んだそうです。お子さんたちも独立し、家のローンも完済。これから夫婦で老後生活を楽しもうとしていた矢先の、病気との闘いでした。後にとっておいた楽しいはずの余生を、生涯の伴侶と共にできなかったことは、Fさんにとっては悔やみきれない心のしこりになってしまったのかもしれません。

 

Fさんは、家を売って一人用のマンションに引っ越しするつもりのようでしたが、家の買い手がつかないと愚痴をこぼしていました。郊外のベッドタウンはバブル期には憧れの街だったのでしょうが、共働きが増え、都心への通勤の利便性を考えると、今の時代にはそぐわないのかもしれません。

 

自分の家を持つことは、人によっては大きな夢なのでしょうが、その夢は、家を持つことそのものでは無く、そこで家族とともに和やかに暮らすことなのだと思います。Fさんの口ぶりから、売れない家を嘆く気持ちが伝わってきましたが、これまで奥様とお子さんたちと楽しく暮らしてこられたのなら、そしてそれがFさんの希望であったのなら、そのために投じたお金で夢を実現することが出来たのではないでしょうか。

 

しなやかに生きる術

長い長い予定表は、どんなに綿密に作ってもそれで万事うまく行くわけではありません。正しいお金の使い方をしていれば心満たされる未来が約束されるわけでは無いのです。

 

約束された未来など無いのだからと言って、私は刹那的に生きることに賛同は出来ませんが、予定表に掲げた大きな目標のために、別の大切なものを犠牲にしてしまっては、何のために生きているのか分からなくなってしまいます。

 

生きて行くためのお金。私たちはそのために自分の時間を切り売りしています。しかし、生きるための“糧”はお金で手に入れられるものではありません。自分のためあるいは家族とのための時間無くして、“生”に対する充実感を得ることは出来ないのではないでしょうか。

 

私にとって、予定表に掲げる目標の裏で大切にしたいものは、“ゆとり”です。若い時は、お金を貯めることにせよ、任された仕事にせよ、目標を達成することで頭が一杯になりがちでした。そのために犠牲にしてしまったこともありますが、失った時間は取り戻すことは出来ません。

 

もし、今の心を持ったままあの頃に戻ることが出来たなら、もっと肩の力を抜いてしなやかに生きることが出来たでしょう。