和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

結婚と非婚 天の気まぐれ (2)

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酸っぱい葡萄

すでに退職してしまいましたが、私の勤め先で女性初の幹部社員になったOさんと言う先輩がいました。かつて“男社会”だった会社の中で、女性が管理職になるのは大変なことだったと思います。

 

Oさんは部下や同僚にとても厳しい人でした。ただし、その厳しさは仕事に対するものでは無く、周囲に対する敵意にも似たものでした。

 

仕事に打ち込み、その成果が認められ出世してきたOさんでしたが、彼女が結婚直前で婚約を解消された話は社内で知らない者がいませんでした。社内恋愛だったのですから仕方ありません。お相手はしばらくして別の女性と結婚しました。

 

そんなOさんは、仕事は順調でも、私生活でのやり場の無い憤りがあったのではないでしょうか。その矛先が自分の部下に向けられていたのではないかと想像します。

 

Oさんの下で働く部下の何人かは、体調を崩し異動させられたり、退職していきました。当時はパワハラという言葉も無い時代。その厳しさは、かえって上からは“やり手”との印象を持たれていたようです。

 

当時私は20代後半。結婚4年目で妻は妊娠中でした。同じ社宅に住んでいた後輩のF君は新婚で、奥さんは妊娠中。私とF君は同じような状況だったのですが、F君の不運はOさんの部下だったことでした。そして、F君はもうすぐ子供が生まれると言うタイミングで休職に追い込まれてしまったのでした。

 

Oさんは、F君の奥さんが身重であることは知っていたにも拘わらず、毎日遅くまで仕事をしなければならないように仕向けました。また、“仕事も一人前にできないうちに結婚なんかするな”というような、言葉による暴力もあったようです。

 

これまでOさんの下で辛酸を舐めた部下は多数いたものの、心のバランスを崩して休職してしまう社員はいませんでした。さすがにこれには人事部も見て見ぬふりは出来ず、また、若手社員からはOさんの下で働くことを拒否する者も出てきました。

 

結局、女性初の幹部社員は、その後しばらくして、“部下を持たない”管理職として退職まで過ごすことになります。直接の“被害者”は出なくなりましたが、依然、Oさんの周囲に対する態度は変わりませんでした。

 

Oさんは、女性社員に対しては思いやりのある一面を見せる一方で、男性社員を見下す態度はまさに敵意そのもの。そのため、周囲に敵の多いOさんでしたが、私は彼女の直接の被害者で無かったことから、何の蟠りも無く話ができる関係でした。しかし、普通に話ができる私に対してでさえ、Oさんは「どうせ男は自分の出世のことしか考えていない」などと、決めつけるような言葉を吐くことがありました。

 

Oさんの退職間際に、少人数の昼食会を開きました。その席でOさんは、仕事で成果を残せたことと、少人数とは言え送別会を催してもらえたことへの感謝の言葉の後、“結婚なんかしていたら”、仕事とプライベートを充実させられなかった、これからも独身生活を楽しみたい、と自分に言い聞かせるように話しました。

 

それがOさんの出した結論であれば、他人が口を挟むことではありませんが、私はその言葉を聞きながら、Oさんが「結婚しない」と自らを納得させるように人との出逢いを避けてきたのだとしたら、もったいないことをしているのではと、ぼんやり考えていました。

 

天の気まぐれ

私が30代半ばに差しかかった頃、携わっていたプロジェクトのつながりで、大手の商社の方々と一緒に仕事をさせてもらいました。そのプロジェクトも一区切りついた時、お互いのチームで慰労会を開くことになったのです。

 

先方のチームリーダーは、40代のYさん。私の目から見ても、部下から慕われている様子が分かります。話の引き出しも多く、会食の時も話題がつきません。かと言って自分だけが話題の中心になることは無く、口数の少ない参加者にも話を振るなど、周囲への気配りを忘れない方でした。

 

慰労会がお開きとなった後、帰る方向が同じだったYさんと私は、二人だけで二次会に繰り出しました。二次会でのYさんは、一次会とは打って変わってどことなく寂し気な雰囲気を漂わせていました。二人で杯を酌み交わすうちに、Yさんが身の上を問わず語りに話し始めました。

 

小学6年生になる男の子がいるYさんでしたが、奥様とは2年以上も別居しているそうでした。そして、奥様からは、お子さんの中学受験が終わったら離婚したいと告げられたと言います。

 

Yさんは海外出張で家を空けることや残業が多く、家族との時間がなかなか取れません。そして父親不在の生活に我慢ならず、奥様は別居する道を選んだのだそうです。

 

その後、奥様との関係は未だ修復できていないとのこと。街にはクリスマスの飾りが出始めた季節。奥様の言うとおりだとすれば、数か月後には夫婦の別れがやって来ることになります。飲むほどにYさんの呂律は怪しくなってきましたが、奥様やお子さんと一緒にくらしたいと言う思いはこちらに伝わってきました。

 

私は酔いつぶれたYさんをタクシーでご自宅に送り届けたのですが、家にはすでに灯りがともっていました。怪訝に思いながらも、インターホンを鳴らすと、女性の声で応答がありました。玄関口までYさんを運び込んだ私に、女性が申し訳なさそうに何度も頭を下げます。私は事情が掴めず早々に退散したのですが、女性は「主人がご迷惑をおかけして・・・」と言っていたような気がします。別居と言うのは作り話か? 訳が分からないまま、私は待たせていたタクシーで家路につきました。

 

翌日、Yさんからお詫びの電話をもらいました。別居して家を出たのはYさんの方だったのです。前夜は酔っぱらって自宅の住所を告げてしまったとのことでした。Yさんは私に話を聞いてもらって良かったと、何度もお礼の言葉を口にしましたが、私はただ話を聞いていただけで何をしたわけでもありませんでした。

 

そんな出来事があったことすら忘れていた、翌年の年の瀬に、Yさんから退職の挨拶メールが届きました。本文はお約束通りの挨拶状の文面でしたが、その後に長い追伸が添えられていました。

 

奥様との出会いは神様の気まぐれかもしれないけれど、その時に奥様を選んだのは自分の責任。自分で選んだ家族ともう一度やり直したい、と言うことが書かれていました。Yさんは奥様との出逢いを大切にし、その頃の自分の気持ちに立ち返って、元の家族に戻りたいと願っているのだと思いました。