和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

結婚と非婚 天の気まぐれ (1)

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余計なお世話

結婚して子供や孫を授かり一生を終える人もいれば、生涯独身を貫く人もいます。そのこと自体が幸不幸を決めるものでは無いのですが、結婚“そのもの”を強く望む人がいれば、反対に絶対に結婚はしないと宣言する人もいます。結婚を希望する人も非婚を貫こうとする人も、結婚と言う二文字に拘っている点では同じなのかもしれません。

 

私の勤め先では、四半期ごとに社内報が発行されるのですが、かつて、誌面のコーナーのひとつに社員の結婚報告なるものがあり、新婚社員の写真やプロポーズの言葉などが記載されました。また、社員の子供の誕生を報告するなど、良く言えば“アットホーム”な誌面作りを心掛けていました。

 

そのコーナーはいつの間にか無くなり、社内報は会社の事業報告や事業所ごとのトピックスなどに限られるようになりました。大きな理由は、結婚や出産などはプライベートなことで、社内にわざわざ公表するものではないと言った意見が多くなったからだそうです。

 

そもそも、既婚・未婚や子供の有無は、仕事のパフォーマンスとは無関係です。仕事に関係の無いことを詮索されたり、聞かれたりすることを不快に感じる社員がいることは、今に始まったことではありませんが、それをきちんと会社に伝える社員が現れ、会社もそのような社員の声を受け入れるようになったのは、時代の趨勢なのだと思います。

 

ひと昔前、部や課の飲み会が半ば強制参加の時代には、きまって独身者は上司や同僚に“いじられる”標的となっていました。それは、まだ、ある程度の年齢に達するまでに結婚する人が多く、独身者が珍しい時代だったからこその光景でした。「結婚したら一人前」などと勘違いしている上司は今はいないでしょうが、それ以前に、仕事上の付き合いでしかない会社の上司や同僚が、自分のプライベートなことに口出しするなど、余計なお世話と言うものです。

 

そこそこの年齢になれば「結婚するのが当たり前」。結婚すれば「子供を産むのが当たり前」。家族を持てば「家を建てるのが当たり前」 - しかし、生き方がこれだけ多様化してくると、当たり前のことなどどこにも存在しないのです。今までの“普通”や“常識”は、前時代の遺物になることだってあります。

 

メッキ塗装の結婚

H君は40代半ばの独身者ですが、結婚相手募集中です。私は彼と仕事で一緒になったことは無いのですが、仕事帰りに時々一緒になり、電車に揺られながら他愛無い話をするような仲です。在宅勤務が始まってから半年以上彼とは会っていないので、H君の現在の様子は分かりません。

 

電車の中では、大概彼の婚活話を私が聞くと言うものでした。30代半ばから“本格的に”結婚相手を探し始めた彼の婚活はかれこれ10年に及びます。結婚相談所に登録する傍ら、いろいろなパーティーにも積極的に参加しているようですが、なかなか彼の理想とする相手に巡り合えない。彼は、自分の相手に20代であることと、気に入った容姿であることを求めていますが、「若くてきれいな奥さんが欲しい」と言うのは、実は結婚相手に求める条件とはなり得ません。歳を重ねることで失ってしまうような条件を課して、相手の内面を見る前に候補を絞ってしまっては、生涯を共にするパートナーを探し出すことは難しいでしょう。これは男女が入れ替わっても同じことが言えます。

 

また、これではダメだなと思ったのは、彼が、「自分は家事が得意ではないので、結婚相手は料理上手で家庭的な人が良い。相手には仕事を続けてもらいつつも、家庭第一に考えてもらいたい」と言ったことです。恐らく両親などからの影響もあるのでしょうが、夫婦で共働きをするのであれば、家事を公平に分担しなければ、奥さんになる人にとっては、結婚は余計な負担が掛かるばかりで何のメリットもありません。身の回りのことを誰かにしてもらいたいだけなら、家政婦さんを雇った方が良いでしょう。

 

結婚相手を、自分を飾るアクセサリーのように考えたり、結婚そのものを世間体やステータスのように捉えて、自分に箔をつけるための道具のように考えてしまうと、自分の理想としていた結婚は、いつかメッキが剥がれることになります。

 

相手の年齢や容姿の他、学歴や収入などいろいろな条件を付けて婚活に励んでも、条件に適った相手に振り向いてもらえず、無駄な時間を費やしている人がいるのではないでしょうか。結婚相手の品定めをしているのは、相手も然りです。なかなか自分の理想の相手に巡り合えない。冷静に考えれば、自分たちが相手の条件に適っていないだけなのですが、それに気づかずに理想を追い求めていると、やがて、声を掛けてくれる相手がいなってしまいます。

 

相手の人柄は、つき合ってみなければ分かりません。相手を知ろうともせず、プロフィールだけで相手をふるいにかけることを繰り返していると、本当に自分とお似合いの相手を見逃すことにもなるのではないでしょうか。来るもの拒まずとまでは言いませんが、来るものを受け止めてから判断しても遅く無ない気がします。(続く)