和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

パートナーに求めるもの

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見た目の若さか、真の健康か

見た目や体力の衰え。生き物である私たちにとって、加齢とともに訪れる衰えは避けては通れません。まだまだ若いと思いながらも、やがて、しわや白髪が増え、おなかの周りの贅肉が気になり始めます。

 

私も数年前までは、20代の、あの気力も体力も充実していた頃に戻りたいと願ったことが幾度となくありました。しかし、50代に差し掛かると、諦めの境地に達したこともありますが、自分には若いだけでは太刀打ちできない経験と知恵が備わっているはず、と強がってみせたりします。歳を取ることで失ってしまったものの代わりに、手に入れられたものがあると言うのが私の考えです。

 

もちろん、体力が衰えたとは言え、不健康で良いわけは無く、私は、成人病にならないように食事や運動にはそれなりに気を付けていますが、「見た目の若さ」そのものにはあまり興味がありません。周りから若く見られることを気にしている人は多いと思いますが、若く見られようが老けて見られようが、実年齢は変わりません。外見では無く、健康状態が良好かどうかの方が大事だと思っています。

 

外見とプロフィール

自分の外見は脇に置き、自分のパートナーにあれこれと注文を付けたがる人がいます。私の職場の元上司は、奥さんに、「体重が○○キロ増えたら離婚すると言っている」と、飲み会の席で自慢げに話していましたが、逆に奥さんから離婚を言い渡されました。見た目だけに拘り、相手の内面に目を向けることが出来ない人間は、それ故に相手から三行半を突き付けられることもあるのだと思います。

 

初対面の人との出逢いで、第一印象は大事ですが、見た目だけで人を判断してはならないことは誰でも知っています。それでも、つき合う相手を探す時、- とりわけ、婚活においては - 相手の見た目やプロフィールを必要以上に気にする人がいます。

 

相手の見た目に必要以上に拘るのは、 “知り合いに紹介した時に恥ずかしい思いをしないため”なのかもしれません。外見は歳と共に衰えていくものです。ましてや、30代から40代ともなれば、求める条件の中で外見を重視していては、自分にとって本当に相応しい相手を見逃してしまう可能性が高くなるのではないかと思うのです。相手の学歴や勤め先を条件とするのも然りです。

 

ましてや、年収に拘るのは、「お金で不自由な思いはしたくない」とか、「今よりも良い生活を送りたい」と言った、相手への経済的な依存の表われです。

 

自分が、相手の外見とプロフィールで品定めをしている時、相手も外見とプロフィールでこちらを品定めしているのです。

 

外見やプロフィール以外、自分が相手に提供できる価値とは何でしょうか。

 

相手に期待しないこと

今や、共働きが普通になりつつある時代。今後、それが当たり前になるでしょう。現在、男性の家事や育児への積極的な参加が叫ばれ、会社の就業規則の見直しが進んできています。“男性は家事や育児に参加しづらい”という環境が改善されたわけですから、これからの男性は、結婚する上で、従来女性に期待されていた「家事能力」や「育児能力」を兼ね備えている必要があります。

 

「花嫁修業」など、今の時代では死語であり、そんなことを口に出そうものなら、差別主義者のレッテルを貼られてしまいますが、かつて結婚相手の女性に寄せられる期待のひとつが、家事をこなせることであったのは否定できない事実です。学業を終えた後、就職せずに「家事手伝い」として、結婚相手が見つかるまでの間を家で過ごす女性が多かったのも事実です。

 

しかし、男女の別なく、学業を終えたら職に就くことが当然の世の中になれば、結婚相手としてお互いに望む条件は似たようなものになっていくと思います。共働きが当然となり、二人の収入で家計を回すことが当たり前になれば、とりわけ相手の収入への拘りは、男性から女性に向けられる条件の一つにもなるのではないでしょうか。逆に、女性から男性への条件としては、家事や育児を公平に負担してくれることがより重要視されることになります。

 

お互いに仕事を抱える夫婦であれば、家事や育児を押し付け合うのでは無く、むしろ、それぞれが手の回らないところを補完し合うような関係にならなければ、これからの結婚生活は上手く行かないのではないかと思います。

 

パートナーに求めるもの

夫婦がともに収入を得て、家事も公平に分担する。そのような関係において、それぞれが相手に求めるものとは何なのでしょうか。

 

「養ってもらう」、「家事を切り盛りしてもらう」と言った、相手に依存する関係は存在しません。家族という共同体を維持するために、夫婦は収入も家事も公平に貢献 – 負担では無く貢献 - することになります。

 

そのような前提に立った時、お互いに相手に求めるものは、ライフスタイルや思い描く家族の将来像と言った、長く一緒に暮らして行くための価値観の共有なのだと考えます。