和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

必要なのか、欲望なのか

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幸せの証

過去に何度か父親のことに触れた記事を書きました。祖父から仕事を引き継いだ父は、家族だけで営んでいた町工場を、従業員十数名を雇うまでに成長させました。

 

しかし、今考えると、それは私の父に商才があったからでは無く、たまたま高度成長の波に乗れたと言う幸運の賜物だったのだと思います。

 

高度成長期からバブル期まで、途中、オイルショックによるブレーキはありましたが、それでも当時の人々は良き時代が終わることなど想像もしていなかったことでしょう。

 

私の父もその一人でした。怠けずに仕事をしていればお金は稼げる。自分で稼いだお金を自由に使うことが幸せの証だったのです。

 

急に金回りが良くなると、「必要なもの」だけでは無く「欲しいもの」を手に入れたがるようになるのは、私の父だけでは無いはずです。車、クルーザー、別荘。欲しいと思ったものは、後先考えずに手に入れていたようです。当時の父は、その十数年後に自分の手掛けた事業が破綻することなど夢にも思わなかったことでしょう。

 

私は、そのような環境の中で生まれたため、当時の我が家が普通の家庭だと勘違いして育ちました。親にねだれば何でも買ってもらえる境遇は、傍から見れば恵まれていると映るかもしれません。しかし、今の私が子供の頃の自分を見たとしたら、なんて哀れな子どもなのだろうと感じたと思います。

 

簡単に手に入れられるものは、有難みを感じることが出来ません。お金を払って手に入れるまでは、あんなに欲しかったものが、自分のものになった途端に輝きを失ってしまいます。そして、また、新しいものが欲しくなる。私の幼い頃はその繰り返しだったのです。欲しいものを手に入れたいと言う欲望は、簡単に叶えられれば叶えられるほど増幅して行きます。砂漠に水を撒くように、潤いを保ち続けるためには水を撒くことを止められなくなってしまうのです。

 

理不尽な反発

子どもの頃の私は、自分の家の台所事情など分かるはずも無く、親の苦悩を知らずに暢気に暮らしていましたが、それでも、父の顔から笑みが消え、夜遅くまで両親が居間で深刻そうな顔をして話している様子から、家の中で何か良くないことが起こりつつあることは薄々感じるようになります。

 

当時私は中学卒業を間近に控えていました。自分のことだけに限って言えば、高校受験も終わり、晴々とした気分に浸っていてもおかしくない時期でしたが、そこからの数年間、私は父を恨むようになりました。

 

日々欲望が満たされている間は、自分が飢餓状態の淵にいることが分かりません。ある日、欲しいと思ったものが手に入らなくなった途端に、自分の置かれている境遇、そしてそれを招いた父に対して理不尽な怒りを覚えるようになったのです。

 

理不尽 – その言葉どおりに、やり場の無い怒りを父に向けました。そして、高校卒業と同時に家を飛び出したのです。今思えば、両親を支えるべき年齢に達していたにも拘わらず、私は自分のことしか考えられない未熟者だったのです。

 

我慢を強いられる生活が続く中でも、他人の物を盗むなど、犯罪に手を染めなかったのは、お金は自分で稼ぐものだと言う父の教えがあったからなのだと思います。それと同時に、刹那的にお金を使うことを続けていては、身を亡ぼすことにもなりかねないことを学んだ点では、父は反面教師だったのでした。

 

大学生の独り暮らし、しかもアルバイトで生活費と学費を工面することは楽なことではありませんでした。ただ、あの4年間 - 浪人時代を入れると5年になりますが – で、衝動的にお金を使うことがほとんど無くなったこと、自分にとっての、要不要の見極めができるようになったことは、貴重な経験であり、今の私のお金に対する考え方の土台作りの期間でもありました。

 

欲しいものが必要だとは限らず

先にも触れたとおり、欲望は一度歯止めが利かなくなると際限なく膨らんでいきます。もし、父の事業が破綻すること無く順風満帆だったとしたら、私は何の苦労も知らず、お金の有難みも知らずに父の跡を継ぎ、事業を傾け、そして潰してしまったことでしょう。

 

そう考えると、見当違いな親への憎しみがきっかけではあったものの、虚勢を張って親元を飛び出したことは、少し時間はかかりましたが、自分の甘い考えを改めさせ、大人同士として親に対峙するために必要な時間だったのかもしれません。

 

そして、今思うのは、別荘があっても、クルーザーを所有していても、躊躇なく使えるたくさんのお金があったとしても、それは幸せを具象するものにはなり得ないと言うことです。

 

欲しいと思っていたものが手に入れられたことや、親に別荘に遊びに連れて行ってもらったりしたことなどが、子供の頃の私にとって悪い記憶ではないものの、なつかしさを覚えられないのは、おそらく、ぜいたくな暮らしをすることだけでは心を満たすことが出来ないからだと思います。お金の自由度と幸福感は必ずしも比例しないのです。