和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

生きたお金の使い道

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生きるために働く

生まれてこの方お金に苦労したことが無いと言う人は、ある意味幸運です。何をするにもお金が必要な世の中、毎日生きて行く上でお金のことが頭から離れることはありません。“ある意味幸運”と書いたのは、お金に不自由していなくても、それで全て満たされるとは限らないからです。

 

とは言え、お金は大事です。ある程度の蓄えができると、頭の上を覆っていた不安が少しずつ薄れて行きます。心にも余裕が生まれてきます。しかし、人間の欲望は、現状に満足することをなかなか許してくれません。もっと○○が欲しい、もっと××がしたいと、新しい欲求の芽が顔を覗かせ始めます。

 

以前、折に触れいくつかの記事で書いたことがありますが、景気の波があるのと同様、人の一生も山あり谷ありです。私の実家は、私が中学生の頃まではお金に困らない生活を送っていました。その後、父の事業が破綻し、突然日々の生活が困窮するようになりました。

 

会社の儲けは従業員の給料を支払った後はほとんど残らず、専業主婦だった母が働きに出てやっと生活している状態でした。大学に入学して間もない頃に家の借金の額を親から聞き出すと、それが自分の想像をはるかに超える額に膨れ上がっていることが分かりました。そして、父からは一緒に働けないかと尋ねられたのです。

 

私は親の巻き添えにはなりたくないと、家を飛び出して独りで暮らすことにしました。家を見捨てた親不孝者でした。アルバイト先に紹介してもらった古びたアパートで独り暮らしを始めるようになると、生きて行くことの大変さが身に染みて分かりました。それと同時に、大きな借金を抱えた実家の生活レベルが分不相応なことも分かりました。

 

独り暮らしは自由気ままなところもありますが、それは、それなりの稼ぎがあっての話。学費と家賃で毎月のアルバイト代がほとんど消えてしまう生活、また、アルバイトのために講義を休む生活を送っていると、自分は何をしているのか分からなくなってしまいます。

 

このような状態で生活していると、日々のことで頭が一杯になり、「あれがほしい、これがほしい」と考える余裕すらありませんでした。

 

贅沢は敵?

就職すると、安定した収入を得られるようにはなりましたが、なかなか貯金ができず、結婚した時は貯金ゼロどころか、奨学金の返済と結婚式費用のための借金を抱えてのスタートでした。妻は高校卒業後結婚まで約8年間仕事をしてきたので、それなりの蓄えはありましたが、結婚の際、私は妻に結婚前の貯金を生活費に回すことは断りました。単なる私の強がりです。

 

新婚時代は切り詰めた生活を送っていましたが、侘しいとかひもじいという記憶は残っていません。分相応の生活を心がけていました。私が幸運だったのは、妻が浪費家では無かったことと、逆にやりくり上手だったことです。給料のうち一定額は貯蓄に回して、その残りで1か月を過ごすと言う、ごく当たり前のことを当たり前にやってくれました。

 

結婚後早くに夫婦共通の価値観とライフプランを持てたことも大きかったと思います。その過程で、自分たちに要る物と要らない物の仕分けができました。我が家の場合、新婚早々に自家用車を手放したことで、かなり負担が減ったと思います。また、転勤商売だったため、大きな家具や余計な物を買わないようにしていたことも自然体で節約できていた要因かもしれません。

 

それと、一番大きいのは、ローンを組まない習慣だったと思います。親の借金苦を見てきた私は、お金を借りてまで物を買うことに大きな抵抗を感じていました。したがって、どうしても必要な物は積立を行なって購入するようにしていました。

 

このように暮らしていると、自分たちは1か月いくらあれば生活できるのかが分かってきます。一方で自分の給料は毎年微々たるものですが増えて行きます。その増えた分は貯蓄に回します。自ずと毎年の貯蓄額は増えていくこととなります。

 

途中、子供が出来て、積立額が減った時期もありましたが、生活のレベル感は新婚当初と変わらず、です。

 

ここまで読まれた方は、私たちが“贅沢は敵だ”を絵に描いた生活をしているのではないかとお思いでしょう。節約ばかりでは楽しい生活なんて無理だと。

 

自分の満足感とは?

欲しい物を欲しいだけ手に入れられたら幸せになれるでしょうか? 何となく私にはそれが、塩水をお腹いっぱい飲むことを想像させます。お腹が膨れてこれ以上は飲めないのに、喉が渇いて仕方ない状態です。心がそのような状態だと、お金をどんなに使っても満たされることはありません。

 

欲しいと思っているものを手に入れる行為そのものに満足感を求めると言うことは、手に入れた瞬間に満足感を喪失することにもなります。

 

お金を価値あるものとして使うためには、自分にとって本当に価値のあるものにお金を投じることを心がけなければならないのだと考えます。

 

私たち夫婦は車の無い生活をずっと続けてきていますが、生活手段として車が必要な方もいますし、車を趣味として大切になさっている方もいます。そのような方々にとって、車のために費やすお金はまさに「生きたお金」になるわけです。

 

ほとんどの人にとってお金は有限だからこそ、野放図に使うのではなく、メリハリ ‐ 優先順位 ‐ が必要となります。自分が一生でどれだけ稼げそうか。それで何を手に入れられるか。あれもこれも手に入れられないのだとしたら、何が自分にとって必要なものなのかを考えることです。どうやったら自分の稼いだお金を「生きたお金」にできるかを考えることです。