和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

お金の配分と安心感

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お金の配分

コロナ禍で収入が減ってしまった人は少なくありませんが、それ以前から、実質賃金の軟調傾向は長く続いています。私たち夫婦が結婚当初にキャシュフロー表を作った時の前提では、今の私の年齢ではもっと給料が上がっているはずだったのですが、残念ながら期待どおりの上昇カーブにはなりませんでした。

 

もっとも、バブル崩壊後にスタートした結婚生活は、貯金も無いに等しく、手取りの給与も少なかったため、財布の紐を締めることについて夫婦の間で意見の相違はありませんでした。そのおかげで、期待どおりに給料が増えて行かなくても何とかここまでやり繰りして来れたことは、幸いなことだったのだと思っています。

 

もちろん、現役時代にバブルを経験した私の先輩の中にも、無計画な浪費のお陰で余裕の無い老後を送っている人もいれば、お金の使いどころを弁えて堅実な生活を続けている人もいます。経済誌などの記事ではバブル世代をステレオタイプで論じるものも少なくありませんが、お金に対する価値観は世代では無く、育った環境や仕事を通じて培ってきた経験に因るところが大きく、ひとまとめには出来ません。

 

さて、財布の紐の扱いはメリハリが肝心だと考えます。生活の潤いと将来の備えは、前者を求め過ぎれば後の人生で大変な思いをすることになり、後者を心配し過ぎれば味気ない、苦行のような日々を送ることになるので、やはりバランスが大事です。

 

自分が一生に稼げるお金を想定して、それをどのように配分するかを考えることはとても重要で、とりわけ、夫婦の場合は、価値観のすり合わせやライフイベントに対するウェイトの配分 – すなわちお金の配分 – を十分に話し合っておく必要があると考えます。 

 

親戚頼み

私の従兄は3年前に65歳でそれまで勤めていた会社を退職しましたが、家のローンがまだ残っていたこともあり、外食産業でパート従業員として働き続けていたところ、昨春解雇されました。従兄の妻は結婚以来専業主婦だったので、夫婦は年金と貯蓄の取り崩しで生活してかなければならなくなりました。

 

私は従兄とはほとんど付き合いは無く、私の母からたまに様子を聞かされる程度の間柄でした。それが、昨年の秋頃に従兄の母親である私の伯母からいきなり電話があり、借金の申し入れをされました。

 

そこで聞かされたのが、上述の従兄の様子でした。従兄は北陸のとある県に住んでいますが、あと十年近く残っているマンションのローン返済で貯蓄も底をつきそうな状況。幸い、二人の息子は独立しているので、マンションを売って、夫婦で実家に戻ろうと考えていると言います。

 

伯母としては、今さら息子夫婦に転がり込まれても困るので、何とか今のマンションで暮らし続けてもらいたいと、親戚方々を当たってお金の融通を相談しているのだと話していました。

 

私の親戚の中に唸るほどの資産を蓄えている者などいません。私とて返ってくる当ての無いお金を貸すことなど出来ません。私は伯母の申し出をきっぱりと断りましたが、きっと後で私の母が伯母から嫌味を聞かされることになるのだろうと思いました。

 

私は母から、従兄の息子たちが海外留学した話や、その息子たちが結婚し居を構える時に従兄が頭金を用意したことなど、その気前の良さを散々聞かされてきました。自分たちの老後資金の底が見え始めたのは、誰のせいでも無く従兄夫婦の見通しの甘さが理由です。

 

伯母は、息子夫婦の困窮をコロナ禍のせいにしていました。パートの仕事を失ってしまったのは、確かにそうなのかもしれませんが、そもそも定年後も続くローンの支払いをアルバイトで賄うこと自体がリスクを伴うものなので、何でもかんでもコロナ禍のせいにすることは出来ません。コロナ禍が無かったとしても、不測の事態が生じる可能性は常にあるのですから、そのようなリスクから目を背けて、借金を抱えたまま老後生活に入ったこと自体、綱渡りの生活を自ら選んだことになるのです。

 

安心感を与えるもの

家を建てて、ローンを払い続けることが働く励みになっている人もいますが、今は私たちの親の世代とは環境が違います。

 

終身雇用と右肩上がりの給料が保証されていた時代なら、返済期間の長いローンを組むことに対してそれほど不安を感じることも無かったことでしょう。今はそのような将来の収入に対する保証など無く、先行きの不透明を払拭してくれるものもありません。いくら低金利だから、減税措置があるから、とは言え、借金を背負うには余程ゆとりのある返済計画を立てないと後々痛い目に遭うことにもなり兼ねません。

 

金融機関は所定の審査を経て融資を行ないますが、それは、借り手の返済能力に太鼓判を押すわけではありません。万が一ローンの返済が滞れば、担保にしている家と土地を競売にかけて貸付金の回収に取り掛かります。金融機関がお金を貸してくれることと、返済能力とは全く別の話です。

 

私は、家を建てる時にハウスメーカー数社に見積もりを依頼しましたが、その中には、こちらの予算を上回る額を提示した挙句に、金融機関からの融資を勧めるところがありました。こちらが借入は行なわないことを最初に断っていたにも拘わらず、相手の気持ちなどお構い無しです。借金をして高い買い物をするように勧めてくるのはハウスメーカーに限りません。車、ブランド品、習い事。売る方は買い手の台所事情などに配慮はしません。借金をさせてでも売ってしまった方が勝ちなのですから。

 

将来の収入の保証など無い時代。安定した仕事など死語になりつつあります。今は仕事も順調で、毎月決まった日に振り込まれる給料が定年を迎える日まで続くと思っていても、十年後、二十年後はどうなっているか分かりません。老後生活の支えになるはずの年金も、制度そのものが破綻せずとも、期待よりも受け取る金額が目減りすることは十分にあり得ます。そう考えると、数十年と言う長いローン返済を無事に終えることは、ひと昔前よりも大きなリスクです。

 

従来安心感を与えてくれたものの影が薄くなってきた分、代わりの安心感を得るためには、持続可能な生活レベルとキャッシュフローの最適化を真面目に考えるのが近道なのだと思います。