和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

本当に欲しいもの

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物欲と我慢

以前、歳を重ねるにつれて物欲が薄れてきたと言う話を書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

思うに、学生時代や新婚時代、手元にお金が無い頃の方が欲しいものややりたいことで頭が一杯だった気がします。きっと、欲しいけれども手が届かないことが、欲求に拍車をかけていたのでしょう。

 

新婚当初は、日々の生活費と将来のための貯蓄を差し引くと、自分の自由に出来るお金はほとんど手元に残りませんでした。妻も、あれこれと欲しいものを口に出すものの、結局は、「でも、我慢しよう」と自分に言い聞かせていました。

 

当時は、自分たちで決めたとは言え、我慢し通しの生活を続けることが果たして正解だったのかと自問した時もありました。

 

今、その時の経験を振り返り、教訓として得られたものは二つに絞られます。一つ目は、我慢は良くないと言うこと。二つ目は、本当に必要なものには惜しみなくお金を使うべきだと言うことです。

 

しかし、それは、思いのまま好き勝手にお金を使うことかというと、そうではありません。

 

目標を持った節制

「我慢は良くない」。その言葉どおり、抑制された状態を続けることは精神衛生上よろしくありません。いくら節約だ、倹約だ、と言っても、人生が苦行になっては本末転倒です。

 

それに、夫婦の場合には、どちらか一方が張り切って倹約に勤しんでも、もう一方がそれを受け入れられなければ長続きしません。節約・倹約に限らず、夫婦のどちらかしか楽しめないことは行なうべきではないと思います。

 

独り暮らしでも、共同生活でも、楽しく続けられる程度で、かつ、無駄の無い生活スタイルを見つけることが肝要だと考えます。それを判断するのが自分のものさしです。知り合いがそうしているから、とか、親に言われたから、では無く、自分の価値観に合った生き方を見つけることが大切です。

 

私たち夫婦は、折に触れ何度も生活レベルの検証を行ない、お金の使い先の優先順位を話し合いました。自分たちが立てた目標に変わりが無いことや、日々のお金の使い方が身の丈に合っているのか。そのようなことを反芻するように考えて行くにつれ、それまで何かに強いられていたと感じていた“我慢”が、目標に向かっての意味ある節制だと言う意識に変わりました。

 

はっきりとした目標を持つことが出来れば、苦行は苦行では無くなります。

 

限りがあるお金だから

「本当に必要なものには惜しみなくお金を使う」。お金は何かに換えることで価値を生み出します。貯金や投資をして残高が増えることが楽しみと言う人もいるでしょうが、自分が手に入れたいものを得るための道具として使わなければ、それこそ宝の持ち腐れになってしまいます。

 

使うべき時に使うのがお金なのだと思います。そして、「使うべき時」を見極めるのは自分です。投資や起業で大金を手にした人を見て、自分も成功者の仲間入りが出来ると思うのであればそうすれば良いのですが、多くの人にとっては一生で稼げるお金はたかが知れています。それを人生のどのタイミングでどのくらい使うのかを考えておけば、きっと後悔は少なくて済みます。

 

自分にとって本当に必要なものは何かを考えると無駄が無くなります。本当に欲しいものは、お金があったら手に入れたい程度のものでは無く、何としてでも手に入れたいと言う強い欲求を伴うものです。どうしても欲しいものだからこそ、それ以外のものには目もくれずに、手に入れる努力ができるのではないでしょうか。

 

漠然と、あれが欲しい、これが欲しいと心に浮かんでくる数多の物欲の中で、自分にとって本当に必要なもの、心の底から欲しいものはどれだけあるのでしょうか。

 

周りを見渡して、幸せそうに見える人の真似をしたり、勝手に“これが平均的”だと決めつけたりして、自分を合わせようとすると、不要なものにお金を使ってしまうことにもなり兼ねません。

 

誰かが持っているもの。それを自分が持っていないことを不満に感じる。もし、たったそれだけの理由で何かを手に入れたいのであれば、生きたお金の使い方ではありません。誰かが持っているものは自分が本当に欲しいものとは違うかもしれません。それに気がつかないと - 気がつけないと – いつまで経っても物欲に振り回されて、自分が必要なものを手に入れることが出来ないで一生を終えることになります。

 

また、物を所有し、それをひけらかすことで優越感に浸っている人や、誰かの気を引こうとする人もいますが、それも、本当に自分が欲しいものとは違うのではないかと言う気がします。

 

優越感を得たいとか自分を大きく見せたいと言うのは、承認欲求の一つなのでしょうが、優越感の先の空虚感を埋めることを繰り返していれば、やはり、一生かかっても自分が必要なものは手に入れられないと考えます。

 

限られた“パイ”をどのように配分するかを考え、ここぞと言う時に惜しみなく使うのが、生きたお金の使い方なのではないでしょうか。