和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

親と自分の人生 (2)

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lambamirstan.hatenablog.com

 

摂食障害

私は海外駐在で8年間本社を離れていました。その間、出張などで会社に顔を出したことはありましたが、Sさんに会うのは本当に久しぶりでした。それは、退社時のエレベーターの中でしたが、私はその風貌の変わりように欠ける言葉を失ってしまい、会釈だけで終わってしまいました。

 

毎日彼女と顔を合わせている上司や同僚からすれば、ほんの少しずつの変化の積み重ねなのでしょうが、再会までの間が長かった私にとっては、大きな驚きでした。

 

私は最早彼女の上司ではありませんでしたが、しばらく後に、Sさんの直属の上司と話をする機会があったので、最近の彼女の様子を聞いてみました。そして、最初に私の下で働いていた頃に比べて、病的な太り方をしていることを心配していると伝えました。

 

個人的なことなので、限られた関係者にしか知られていませんでしたが、Sさんは数年前から摂食障害で体重の増減を繰り返していました。現上司は、私に口外しないことを約束させた上で、彼が知っている範囲の彼女の現状を話してくれました。

 

Sさんに縁談が持ち上がったのは数年前のことでした。そして、結婚を機に会社を退職することになっていました。しかし、それは単純な話ではありませんでした。親が決めた相手との結婚と聞くと、今の時代でそれはあり得ないと思ってしまいますが、Sさんの母親は知り合いの伝手で紹介された男性とSさんを結び付けようとしていたのでした。

 

当時の上司に、Sさんは、親が結婚しろと言えば従うけれども、本当は仕事を辞めたくないと訴えたそうですが、その上司は彼女に、どうするかは両親とよく話をして決めるようにというだけでした。

 

それをSさんは見放されたと取ったのかは定かではありません。ただ、仕事では明らかに注意散漫なミスが増え、身なりに気を使わなくなるのと同時に見た目で分かるくらいに体重が増えて行ったと言います。しばらくして、Sさんは上司に、結婚を取りやめたことと仕事を続けることを伝えました。

 

例年行なわれる健康診断。Sさんは健康管理室から産業医の問診を受けるように言われ、そこで摂食障害の疑いがあると言われ、専門医によるセラピーを勧められました。

 

結局、Sさんは、半年余りの間、病気休職を取り治療に専念した後、復帰先として現在の部署に異動となりましたが、復帰後も過食と拒食を繰り返しており、カウンセリングを続けていました。

 

Sさんは、表面上は親の決めた結婚を受け入れたものの、本心は裏腹で、婚約者から嫌われるために無意識のうちに体重を増やすような行為に走ったのではないか。あるいは、自分の自由を奪い続ける母親に対する精一杯の反抗だったのではないかと、私は勝手な想像を巡らせました。

 

突然の自由

今年に入って間もなくのことでした。Sさんの母親の訃報が回りました。かつては同僚の両親の葬儀には会社からも参列するのが普通でしたが、ここ最近は、葬儀は家族葬が主流になりました。

 

Sさんの母親の葬儀も家族葬で行なわれ、会葬も香典も辞退すると言うものでした。私は、彼女にメールで弔意を伝えたところ、彼女からは、意外な返信が届きました。

 

その内容は、積もり積もった恨みを吐き出す相手を待っていたかのような長文のもので、私は読んでいる間に軽いめまいを覚えました。途中、同じ様な文言が繰り返されているのは、彼女が自分の書いた文章を読み返す余裕の無さの表われなのだと感じました。

 

彼女からのメールの書き出しは、こちらからのメールに対する謝意を伝える普通のものでしたが、やがて、母親のことを“あの人”と呼び始めます。あの人が死んだことで、ようやく従順な娘を演じる必要が無くなり、解放感を味わっている一方で、いろいろなことを楽しめたはずの20代を棒に振ってしまったことに怒りを感じており、やり場の無い怒りをどうやって収めるかが分からないと言います。

 

私は、彼女のメールに何か気の利いた言葉を返そうかと考えましたが、結局はそのままにしてしまいました。正直に言えば、返す言葉が見つからなかったのです。

 

順番から言えば親の方が先にこの世を去ることを考えると、束縛して押さえつけて、自分の意のままに従う子どもに育ててしまうのは、子の人格を否定するのと同意なのです。自分に都合の良い存在を、自分が死ぬまで飼い殺ししているだけなのです。

 

自分が死んだ後、束縛され続けていた子どもはどうなるのか。Sさんは、母親による束縛を解かれ自由になったと快哉を叫んでいるように見えましたが、やり場の無い怒りを感じているのは、依然親の呪縛に囚われてるのだと思います。

 

親子であっても、それぞれの人生の決定権は自分しかありません。Sさんは親の死によってようやくその決定権を取り戻したのですが、これまでの親のために生きて来た30年余りの穴を何で埋めることができるのか。私は気の毒と言う簡単な言葉では片づけられないと感じました。