和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

働くこと、生きること (2)

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生きることの理想と現実

理想の生き方とはどう言うものを指すのでしょうか。これは人の価値観が大きく影響するので一概には言えませんが、心の安寧を維持したいというのは誰もが望むものだと思います。そのためには何が必要なのでしょうか。

 

言い方を変えると、今の生活に満たされていないと感じているとしたら、何が欠けているのでしょうか。お金? 時間? 心穏やかに過ごすために何が必要なのでしょうか。

 

お金に困らない生活がしたいとは誰でも思うものですが、財布の中身を気にせず何でも買えるようになれば心が満たされるのかと言うと、必ずしもそうとは言えなさそうです。お金は将来への不安を解消することには役立つかもしれませんが、「お金さえあれば」心の平和が訪れるとは限りません。

 

時間がもっとあれば、いろいろなことができるのに。日頃時間が足りないと嘆いている人も多いのではないでしょうか。しかし、思いがけずたくさんの時間を手に入れられたとして、今まで時間が足りないことを理由に諦めていたことを実現しようと一歩踏み出す人はどれだけいるでしょうか。コロナ禍で自宅待機や在宅勤務となって、自由な時間が増えた人はいると思いますが、増えた時間をどのように活用したのでしょう。

 

自分の自由になるお金と時間が欲しい。でも現実は、仕事に追われてその日その日を生きて行くだけで、思いどおりにお金も貯まらず、自分の時間も十分に作れない。それが、ほとんどの人にとっての現実なのだと思います。

 

欲しいものを手に入れると言うこと

私の家庭は私が小学校を卒業する頃までは裕福でした。父親の事業も順風満帆。父は別荘を買い、クルーザーを買い、子供の私にも欲しいものは何でも買い与えてくれました。しかし、別荘にしても、ボートにしても、そして私が父にねだったものも、心の平和のために必要なものでは無かったと思います。

 

父にしてみれば、“何かを買う理由”は、分不相応なお金を手にして、ぜいたくな気分を味わいたかったということでしょうし、私にしても、友達が持っていたものやお店で衝動的に欲しくなったからと言うだけだったと思います。今振り返ってみれば、「欲しいと思ったものを手に入れる」という欲求を満たすことが目的だったわけで、それでは手に入れたものに愛着など湧くわけがありません。父に買ってもらったものは押入れの隅で埃を被り、父は、事業が傾き始めた途端に別荘やクルーザーを売り払ってしまいました。結局、お金をどぶに捨てたのと同じです。

 

私は、物欲と言うものは一旦は満たされても、それは一過性のもので、次々に現れる物欲を満たしたいと言う衝動は終わりが無いことを知りました。私にも衝動的に物欲が下りてくることがありますが、そのような時には、しばらく間を開けることにしています。そうすると、1週間前まであんなに欲しいと思っていたものに、何の興味も示さなくなった自分がいる、ということもあります。本当に欲しいものとそうでないものを取捨選択する習慣をつけると、自ずと物欲をコントロールできるようになり、自分にとっての「足る」を知ることになります。そして、衝動的な物欲に任せること無く、本当に欲しかったものを手に入れられるようになるのです。

 

たくさんの時間よりも今この瞬間

時間に関しては、たくさんの時間を手に入れることよりも、今この瞬間を何に費やすかを考えるべきだと思います。どんなにお金を稼いでも、時間だけは買い戻すことは出来ません。20代の自分にはその時にしか出来ないことがあります。子供が幼稚園児なら、その時にしか一緒に楽しめないことがあります。ある日食卓で、聞いてほしいことがあると頼んできた妻や子供は、その時しかいません。相談事を持ち込んだ部下は、その時しかいません。「忙しいから後で」と思っても、後になって家族や部下との時間を取れる保証は無いのです。

 

私は30代のある時まで、子供の世話や家事を妻に押しつけていました。育児や家事に全く参加しなかったわけでは無いのですが、仕事優先の生活を送っていたのです。仕事をこなして給料を稼ぐこと。それが家族のためだと信じていたからです。もし、その考えを捨てることが出来なかったら、私たち家族は全く違った形になっていたでしょう。もしかしたら、家族の形すら残っていなかったかもしれません。

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「その時」は取り戻すことが出来ません。将来、有り余るお金を手に入れることができても、今の1分を買い戻すことなど出来ないのです。

 

仕事を引退し老後を迎えれば、嫌でも自分の時間は増えることになります。しかし、その時に自分の隣に家族がいるとは限りません。かつて頼ってきた部下は自分の顔など覚えていないかもしれません。時間の使い方を間違えて、自分にとって本当に大切なものを失ってしまっては、何のための人生だったかと後悔するに違いありません。やり直しの利かない人生なのですから、その時その時の重みを感じながら生きることが、満たされた時間を過ごすことになるのではないでしょうか。