和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

気楽さの中の幸せ

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塩おにぎりが好き

加齢とともに嗜好が変わるのは、その年齢にならないと分からないものです。若い頃は脂っこいものや濃い味付けのものが好きだった私も、揚げ物を食べた翌朝に、胸やけで目を覚ますようになってからは、あっさりとしたものを好むようになりました。

 

一方で、昔から変わらず好きなのはお米です。朝、少し長めの散歩から帰宅すると、炊き立てのご飯を塩おにぎりにして、漬物を摘まみながら食べるのが私の朝食です。シンプルな食事ですが、これが自分に一番合っているのだと思います。

 

ふと思い出したのが、大学生の頃のことです。家庭教師をしていた中学生がめでたく志望校に合格した時、そこのご家族に食事に誘われました。学生同士では、まず行かないようなレストランでの食事を終え、家路に着いた私は、途中のコンビニでおにぎりと缶ビールを買いました。レストランでは、親御さんを前に緊張していたのと、普段食べなれないものばかりだったので、正直、料理の味はあまり分かりませんでした。アパートの部屋に戻って、おにぎりをビールで流し込むと、ほっとした気分になったことを良く覚えています。

 

今でも、たまに家族で外食をすると、美味しい食事に舌鼓を打ちつつも、何故か帰宅後にお茶漬けが食べたくなってしまいます。家でちょっと手の込んだ料理を作って食べても、最後の“〆”にお茶漬けかおにぎりが食べたくなってしまうのは、それが私の性分に合っているからなのでしょう。

 

かつて、グルメブームと言うものがありました。私もほんの一時期、同僚と評判の店を探して訪れたことがありましたが、本当に美味しい食事も、最初に出会った衝撃を越えることは無く、食べ歩きをすればするほど、満足感は薄れて行きました。

 

私の中のグルメブームは、あっという間に去って行きましたが、それは、自分の家で自分の舌に合ったものを作って食べた方が楽だからでした。

 

質素に生きる

食べ物に限らず、「気が楽」と言うのは私の重要な判断基準です。大人数よりも独りの方が「気が楽」。車よりも電車に揺られた方が「気が楽」。流行に敏感でいるよりも自分の好みを通した方が「気が楽」。

 

自分が楽でいられる時間と空間を求めると、自ずと生活は質素、あるいは簡素になります。私が無駄だと思うのは、嫉妬や虚栄のためにお金を費やすことです。

 

他の誰かの目から見て、自分のことを幸せだと思われること - 羨ましがられること – と、自分が本当に幸せであることは別です。また、自分の目から見て羨ましいと思う人を真似たり追い抜いたと思ったとしても、それで自分の心が満たされるとは限りません。

 

自分の心を満たすものが何かを知らなければ、自分の心を穏やかに保ち続けることは出来ません。他者との比較でしか自分の幸せを測れないとするならば、無駄な時間と無駄なお金を生涯使い続けることになります。

 

嫉妬と虚栄にお金をかけても、その先には虚無しかなく、それは自己満足にも遠い、マスターベーションでしかないのだと思うのです。

 

削ぎ落すべきもの

外面を良く見せたいとか、周囲から羨ましがられたいと言った欲に囚われていると、そのような生活が出来なくなった時の自分がとても惨めに感じられるのではないでしょうか。

 

私は幸か不幸か、会社をクビにならずにここまで来ましたが、知り合いには、リストラされた人も少なくありません。そして、その中には、生活レベルを変えたくないと意地を張っていた人がいました。リストラされたことを周囲に知られたくない、知られるのが恥ずかしいと言う、そんなちっぽけな見栄を張ったがために、彼がどうなったか。

 

転職して収入が減ったにも拘わらず、虚栄に塗れた生活を続けた彼は、やがて消費者金融からの借金で生活を回すようになり、家のローンを滞らせ、あっと言う間に破綻しました。幸い、奥様の実家に転がり込むことが出来たので、一家離散とはなりませんでしたが、そんなことになる前にやるべきことがあったのではないかと、私は思います。

 

収入が減れば、それまでの生活が成り立たなくなることは当たり前です。外面さえ気にしなければ、収入が減ったなりに身の丈に合った生き方もできたのです。

 

転職活動をしている知人の中には、転職先の条件にとして、「生活レベルは落としたくない」と言う人がいます。また、婚活をしている知り合いは、結婚することによって生活レベルを落としたくないと言います。そのような人は、現在ギリギリの生活をしているわけではありません。それでも生活レベルに拘る理由は、他人の目を気にしてるからだと思います。自分自身では無く、他者から見られる自分の姿を気にしているに過ぎないのです。

 

見栄を張ったり、誰かを羨んだりする気持ちを削ぎ落すことが出来れば、もっと楽な生き方が出来るはずです。自分を苦しい立場に追い込んでいるのは、自分の心だと気づいていない人は意外に多いのではないでしょうか。