和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自分を好きになること

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見栄っ張りなだけ

私は、寝ている間に見る夢のほとんどを目覚めた瞬間に忘れてしまうのですが、まれに朝起きた時にしっかりと覚えている夢は大抵が不快な内容のものです。

 

落ち続ける夢、鋭い牙の獣に嚙みつかれる夢 – そのようなものは夢だと分かっているのでまだマシです。リアルな夢 – 合格発表で自分の番号を探し続ける夢や試験問題に全く歯が立たない夢 – で、一日中何となく気分が優れないと、五十を過ぎても未だに学生時代の苦い経験が克服できないのかと自分が嫌になってしまいます。

 

嫌な経験の根っこは私の高校時代に遡ります。中学時代まで、私はそこそこの努力で親が満足する成績を残すことが出来ました。親が私の成績に満足している状態を維持することが勉強へのモチベーションになっていました。親が喜ぶような成績。先生に褒められるような成績。勉強は自分を認めてもらうための手段で、それ以上の目的はありませんでした。

 

ところが、進学校と言われている高校に入学した途端、私のメッキは剥がれました。成績は学年で下から数えた方が早く、低迷を抜け出せない自分に焦りだけが募ります。中学時代以上に机に向かう時間を増やしたにも拘わらず状況は変わらず、自己満足は自己嫌悪に変わり、やがて自己否定になりました。

 

今にして思えば、たかが学校の定期考査の話です。それで人生が終わってしまうわけでもないのですが、当時の私には割り切りが出来るような心の余裕などありませんでした。

 

そんな高校時代を経て、一浪して大学に入った後、私は負の経験を克服出来たと思い込んでいました。大学時代の勉強は順調で、自己嫌悪が自己満足に好転した時期でもありました。

 

しかし、これも、たまたま良い結果が得られて、それに自分が気を良くしていただけの話です。自分の何かが変わったわけではなかったのです。高校時代も大学時代も、成績に一喜一憂しているだけ。結果に踊らされている自分に気がつかずに過ごしていました。

 

私の承認欲求はそれほど強いものでは無かったと思いますが、周囲の目を気にする気持ちが勉強に向かう原動力だったことを考えると、詰まるところ、私は単に格好をつけたいだけだったのだと思います。

 

そんな虚栄心に自分が潰されてしまったのは、30代半ばのことです。私はそれまで自分のことを見栄っ張りだと考えたこともありませんでした。

 

就職してまだ日が浅い頃、同期の仲間との酒席で、「早く偉くなりたい」と言う者に対して、私は、偉くなることでは無く、自分のやりたい仕事を成し遂げるのが目標では無いのかと言ったところ、彼は、偉くならなければ自分がやりたいことは出来ない、と譲りませんでした。

 

私は昇進や昇格は後からついてくるもので、それを目標にすべきでは無いと考えて会社人生を送ってきました。与えられた仕事を成し遂げることに注力すべきだと言う考えを変えることはありませんでした。

 

しかし、いつしか任された仕事をこなすモチベーションが、会社の業績に貢献しようなどと言うものでは無くなり、上司から無能だと思われたくないことだけになってしまっていたのは、仕事を離れて休養して初めて気がついたことでした。

 

私は、自分の虚栄心から目を背け、処理能力ギリギリの仕事をし続けた結果疲弊してしまったのでした。以前の記事でも触れましたが、心の変調で長期休養を余儀なくされるまでの数年間、私の家族との記憶はとてもぼんやりとしたものになっていました。虚栄心に踊らされて大切なものを見失ってしまったのです。

lambamirstan.hatenablog.com

 

自分が自分を好きになること

自負していたものが崩壊すると、自分の中に残されるのは自己否定の気持ちだけなのですが、私にとって幸いしたのは、家族の誰も私を否定しなかったことでした。妻は私を腫物のように扱うことはせず、いつもと変わらずに接し、家族の中の私の居場所を作ってくれました。

 

休養の間、私は家族写真やビデオの整理をしつつ、靄のかかった想い出を取り戻そうとしていましたが、その手助けをしてくれたのも妻でした。

 

ある時、妻が何かの拍子にふと、「そう言えばプロポーズの言葉をもらっていない」と言い出しました。言った、言わないの争いは、それを覚えていない私の負けでした。妻はもう一度プロポーズしろと迫り、娘たちはそれを囃し立てます。

 

世界で一番好き、三度の飯より好き - いろいろ言葉を並べても、妻は悪戯っぽく首を横に振り続けます。

 

ところで、妻は昔から話が長いので、一通り聞き終えた後に私は自分の頭の中で、彼女の言葉を要約します。自分のことを好きになれない人間が誰かを好きになることは出来ない。自分のことを好きだと自信を持って言えないのなら、誰かにプロポーズなどしてはいけない – それがあの時妻が言わんとしていたことでした。

 

結局、未だに私は自分が口にしたプロポーズの言葉を思い出せず、妻もそれを教えてくれようとはしませんが、このブログを書きながら、あの時妻が言った先述の一言をふと思い出して備忘の意味も含めて書き留めておいた次第です。

 

自分の努力の過程やその結果を誰かに認めてもらいたい、褒めてもらいたいと言う気持ちでは無く、自分が自分自身を認めることが出来るか、今の自分を好きになることが出来るのかが肝心なのだとあの時気づくことが出来たのは、妻のお陰 - 本人は自覚していないでしょうが – なのです。