二十歳の娘への言葉

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想い出の欠落

これは、家族の誰にも話したことが無いのですが、私は、下の娘が生まれて間も無い頃から、2歳の誕生日を迎える頃までの記憶がほとんどありません。

 

事故による記憶喪失などでは無く、あの頃の私は、仕事に忙殺されて精神的に危うい状態だったのだと思います。50年余り生きてきた私にとって、後にも先にも、あの2年足らずの期間はぼんやりと暗い中を藻掻いて生きていたのです。

 

もちろん、忙しい中でも、家族と過ごす時間を作って、娘たちを遊びに連れて行ったり、誕生日にはケーキを買って祝ってやったり、家族旅行にも行きました。その時々で写真やビデオを撮るなど、傍から見れば、ごく普通の家族に映ったことでしょう。

 

しかし、私は当時の写真やビデオを見ても、自分がそこにいたと実感が湧いてこないのです。そこに映っているのは間違いなく私自身なのですが、その時何をしたのか、家族とどのような会話をしたのかが全く思い出せません。

 

反面、仕事上の嫌な思い出や、通勤途上に消えて無くなりたいと、良からぬことを考えてしまったことは、今でもたまに頭を過ります。

 

過ぎてしまった時間を取り戻すことは出来ません。後悔しても、その当時に戻ってやり直すことが出来ないのが人生です。

 

私はすでに人生の折り返し地点を過ぎた人間なので、これからまだまだ活躍するチャンスのある方々に言いたいのは、思い出作りはとても大切だと言うことです。嫌な経験ほど、拭い去ったと思っていても、ふとした瞬間に首をもたげるものです。また、学校や仕事で辛いことがあると、しばらく尾を引くこともあるでしょう。ただ、それも、良い思い出に包まれて生きていれば、乗り越えることができると思うのです。

 

私は、娘が一番可愛い盛りの時の思い出が抜け落ちていることを悔やみましたが、その後、自分を取り戻してからは、欠落した思い出の分を取り戻そうと、妻や娘たちとの時間を持つことを最優先に生きてきました。

 

記憶の中で生かしてもらう

以前、別の記事で、私は、「自分が死んだ後は自分と親しい人の記憶の中でしか生きられない」と書きました。

 

lambamirstan.hatenablog.com

 

思い出作りは自分のためのものには違いありませんが、それ以上に、家族や親しい人の中で自分を生かしてもらうためのものだと考えます。

 

そう考えると、家族や友人との思い出作りは、旅行先や外食の場所に拘ることも大切ですが、その時々の自分の思いを知ってもらうことが大事だと思います。相手の記憶の中に留めておいてもらうことを考えれば、自ずとホスピタリティの気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。旅先やレストランで自分だけが満足していては、一緒にいた人にとっての良い思い出にはならないでしょう。その場にいる人々が皆楽しんでくれるような雰囲気作りをしたいものです。

 

自分の大切なもの

今週、下の娘が二十歳の誕生日を迎えました。昨年までは、家族の誕生日や結婚記念日などには、外食することがお決まりになっていましたが、今年は、結婚記念日も家で過ごし、今回の娘の誕生日も家でささやかな家族パーティーを開きました。料理は私が作りましたが、それだけでは華が無いので、娘の誕生年のワインをこっそり調達して家族で楽しみました。

 

先月、妻の闘病生活が始まって以来、アルコールを口にするのを控えていたためか、ワイン1杯で酔いを覚えました。それと同時に何故か、冒頭に書いたような記憶の欠落があったことや、娘への申し訳なさがこみ上げてきました。

 

折角の祝いの席で、そんな話をしたところで場が白けるだけと思い、その代わりに次のようなことを娘たちと妻に伝えました。

 

子育ては今日で終わり。親として君たちに教えられることはもうありません。これからどんな時代になるか分からないけれど、自分を大切にすることを忘れないでもらいたい。自分を大切に出来ないのに家族や周りの人を大切になど出来ないから。

 

最近、妻から、若い時に比べて話がくどくなったのは老化現象だと言われました。仕事では極力聞き役に徹していたことと、特に在宅勤務で籠って仕事をしていると、つい誰かと話したい衝動に駆られてしまいます。

 

思うに、ここ数週間、新聞などで有名人の自死のニュースや、コロナ禍による失業の話題などを目にすることがあり、何となく - 何の関連性も無いことは分かっているのですが - 娘たちの将来を案じる自分がいました。

 

恐らく、誕生日の食卓での私の“スピーチ”も、妻から見れば、「また始まった」と言うような類のものだったかもしれません。しかし、中高年の感傷からか、アルコールの悪戯かは分かりませんが、あの瞬間頭に浮かんだ“自分が伝えたいこと”を話せて、すっきりした気分になりました。

 

子の幸せを願わない親はいません。娘たちにはやりがいのある仕事に就いてもらいたいと言う願いもありますが、それよりも何よりも、自分を大切に思えるような人になってもらいたいと願っています。