和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

家族らしさ

小旅行

妻の体調の変化は先が読めないので、家族旅行の計画を前もって立てることが出来ません。先月、彼女が熱海の梅まつりに行きたいと言った時も、結局、体調が優れないまま、時機を逃してしまいました。

 

我が家から熱海までは、日帰りするには遠く、泊りがけで行くには微妙な距離です。これまでは、他に旅行先の候補もあって、「いつでも行けるから」と家族旅行の候補地から外され、やがて話題にも上がらなくなりました。

 

そうこうしているうちに、妻の闘病やコロナ禍のため、家族旅行自体、先送りを続けてきましたが、先週、私は思い立って、熱海への家族旅行を妻と娘に持ちかけました。梅まつりは終わってしまいましたが、河津桜がちょうど見頃です。下の娘は翌週から卒業旅行に出ることになっていたので、直前の家族旅行を嫌がるかと思いましたが、快く賛成してくれました。運良く、宿泊先も手配出来て、私と上の娘は急遽仕事を休み、一泊二日の熱海への旅行となりました。

 

今にして思えば、いつでも行けるのであれば、日帰りだろうと一泊二日であろうと、すぐに行動に移すべきだったのです。妻も娘たちもこんなに喜んでくれるのであれば、もっと家族でいろいろなところを訪れれば良かったと自分の愚かさが悔しく感じられました。

 

家族らしさ

自粛生活の中、家の中で楽しめることをあれこれと探して実践する一方で、旅行は妻の体調を理由に先送りしてきましたが、何も予めプランを立てる必要などなかったのです。今回のように、思い立ったら行動に起こせば良かっただけなのです。

 

私はどこかで自粛と言う言葉の暗示にかかっていて、自分が楽しむことや家族を楽しませることに歯止めをかけてしまっていたのでした。自分らしくあり続けようと願い、本心と対話していたはずが、いつしか心の表面をなぞるだけで、対話したつもりになっていたのでしょう。

 

改めて、「自分らしさ」や妻と娘たちを含めた「家族らしさ」は、意識して求めないと日々の雑事に埋没してしまうことが分かりました。大袈裟かもしれませんが、自分や家族が大切にしたいこと、楽しみたいことを常に追い求めて体現しようとするのが生きる目的なのだと思いました。