和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

トフラーとオーウェル(1)

第三の波

アルヴィン・トフラーの「第三の波」を初めて読んだのは、私が中学生の頃でしたが、当時の私には“情報革命”と言われてもピンと来るものはありませんでした。そのような社会の大変革が起こるにしても、それはずっと先の未来の話程度にしか受け止めていませんでした。

 

しかし、それから約四十年経ち、トフラーが予見していた、在宅勤務やライフスタイルの多様化は現実のものになっています。私が思っていた“ずっと先の未来の話”ではなかったのです。

 

他方、トフラーは、情報過多や情報格差による社会の混乱、プライバシーの侵害の増加、価値観の対立、人工知能のシンギュラリティについても言及しており(まだ、他にもあったかもしれませんが)、情報革命が及ぼす負の影響あるいは乗り越えるべき課題についても指摘しています。

 

そして、そのような大変革に対応するために、彼は、人々に学習を続けることや再学習の重要性を唱えました。最近はやりの“リスキリング”もこれに通じるものがあるのではないでしょうか。

 

「第三の波」は、何度も読み返している本ですが、内容的に全く古さを感じさせません。むしろ、彼の“予言”した未来を私たちの社会が追いかけているのではないかとの錯覚に囚われそうになります。

 

波に流されないためには

最先端の流行に疎い私でさえ、実生活の中でのネットに依存している度合いは年を追うごとに増してきています。仕事のやり方も大きく変わりました。情報収集は、文献のページを捲るよりもネット検索に頼る方が多くなりました。仕事相手と直接顔を合わせるよりもオンラインで打ち合わせをし、あるいは、実際の会話を端折って、チャットで用件を済ませてしまうことも多くなりました。

 

情報や知識の習得は - 実際にそれらが自分の血肉となっているかは別として - ひと昔前とは比べ物にならないほど時間的・量的に向上しました。その一方で、氾濫する情報の真偽や価値を判断する能力を持つことの重要性は益々高まっているため、受け手側である私たちが学習努力を怠れば、情報の波に流されるだけに終わってしまいます。

 

他者とのコミュニケーションについても、便利な道具を使わない手はありませんが、仕事で言えば、共通の目標や理解していることを折々に確認する手間を惜しまないようにする必要があると感じています。考え方の多様化は、相手の立場を尊重するだけでなく、考え方を理解出来なければ、同じ言語を使っていても意思疎通が出来ない事態に陥ってしまうリスクがあるからです。

 

避けられない波に飲み込まれないためには、自分の足元を固めておく必要があります。(続く)