和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

没頭できるものを探す

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趣味に生きる

結婚前から妻は着付け教室に通い資格取得を目指していました。私の海外駐在や子育て等で上位の資格取得は思いどおりには進みませんでしたが、帰国後は呉服店で働き始め、七五三や成人式の時期にはフォトスタジオなどで着付けのアルバイトをしながら資格取得の勉強を再開させていました。

 

現在、妻は休職中ですが、治療が終わっても復職できるか分かりません。立ち仕事が多いことと、手術後にかすかに左手に痺れが残っており、以前のように着付けの仕事が出来るか自信が無いと言います。着付けの練習用のトルソー(胴体だけのマネキン)は、見るのがつらいからと目につかないところに片づけてしまいました。

 

闘病生活と自粛生活。それに加えて趣味兼特技を失った妻でしたが、手術のしばらく後からペン習字と漢字検定の勉強を始めました。妻の習字と漢検の勉強がいつまで続くか分かりませんが、没頭できるものを見つけられたことは何よりです。

 

もし、妻の復職が叶わなかったとしても、何か夢中になれる趣味を見つけられたとしたなら、それも前向きに生きるための励みになることでしょう。

 

さて、私は、自分の体力と記憶力の衰えを感じ始めた2年前くらいから、ボケ防止のためにブログを始めました。長年、趣味として読書、映画・音楽鑑賞などには寸暇を割いてきたつもりでしたが、日々吸収したものや、これまでの経験を整理してアウトプットすることにはほとんど気を払ったことがありませんでした。

 

自分が吸収したことや頭に思い浮かんだことをそのままにしておくのでは無く、自分の言葉で言い換えてみることで、本当に理解出来ているのか、身に着いているのかが分かるのではないかと思った次第です。

 

ブログを始めてみて、頭の中にあるふわふわした思考を形のある文章にすることで自分の考えや思いを再認識できることが分かってきました。

 

そして、もう一つ、妻の習字・漢検開始に併せて、私はギターを始めました。“始めた”では無く、“再開した”と言うのが正確な表現です。

 

私のギター歴の始まりは中学生の頃でした。小遣いを貯めて買ったアコースティックギターを手にしてから40年来の趣味です。40年来とは言うものの、受験、仕事、子育てなどを理由に何度か長期の休止期間があったので、ギターが埃を被っていた時間の方が長かったことは否めません。

 

これまで、週末の空いている時間は、妻と一緒にビデオ鑑賞や読書に時間を使っていましたが、妻が机に向かう時間が増えたため、私も何か始めようと考えたのがきっかけでした。妻同様、私の趣味もいつまで続くか分かりませんが、休日のひと時を何かに打ち込むことに使うのは悪いものでは無く、完全にリタイアした後の、生きる励みになるならそれに越したことはありません。

 

無くした趣味の埋め合わせ

十数年前に退職された私の大先輩のSさんは、役員として執務していた時に倒れ、右半身に麻痺が残ってしまいました。ご本人は職務復帰を目指してリハビリに励んでいたのですが、最後は奥様の懇願により、任期半ばで辞任することを決断されました。

 

Sさんは若い時から車が趣味で、倒れた当時も高級スポーツカーを所有していて、週末は奥様とドライブするのを楽しみにしていました。私は何度かお誘いを受けてご自宅にお邪魔したことがありましたが、毎回、Sさんは最寄りの駅まで車で私を迎えに来てくれました。

 

当時私は役員の世話をする部署におり、Sさんが会社を辞めることを決意された時に、辞任届を持って入院先の病院にお伺いしました。Sさんはその頃には、リハビリの甲斐もあって、杖の支えがあれば立ち上がれるほどに快復していました。少々呂律が回らなくても会話には支障ありませんでした。

 

その時に私は奥様から、車の運転を諦めるようにSさんを説得して欲しいとお願いされました。一時帰宅の時、Sさんは何度か車の運転席にぼんやり座っていることがあったそうで、奥様は、後遺症の残る体での運転など無理だと何度もSさんと言い合いをしていると愚痴をこぼしていました。

 

私は、自分が再びハンドルを握れることは無いと分かっていても、あれだけ好きだった趣味を簡単に諦めきれない、そんなSさんの気持ちを察しました。いつかもう一度車を運転したいと言う希望は、リハビリのための大きな原動力になります。

 

とは言え、誰の目から見てもSさんに車の運転など無理なのは明らかでした。それならば、車以外に夢中になれるものを見つければいいのではと私は考えました。もしそれがリハビリにも役立つようなものなら最高です。そこで、私は何の気無しに、何か楽器や模型作りなど指先を使う趣味を始めたらどうかとSさんに提案しました。

 

次にSさんとお会いしたのは、退院後のご自宅にお邪魔した時でした。リビングルームの、以前はカップボードが置かれていた場所をアップライトのピアノが占領していました。

 

奥様は、長続きするか分からないのに高い買い物をしたと不満を口にしていましたが、その言葉とは裏腹に笑顔を浮かべていました。週に2日、ピアノの先生に自宅まで来てもらっていると話すSさんは、新たな趣味を見つけられて嬉しそうな顔をしていました。

 

Sさんの訃報が届いたのは、私の海外駐在中でした。葬儀は家族葬で香典は辞退するとのご遺族のご意向でしたが、私はこれまでお世話になってきたこともあり、東京にいる元部下に頼んで、手紙を添えたお香典を郵送してもらいました。

 

しばらくして、奥様からお礼状が届き、晩年のSさんの様子を窺い知ることが出来ました。

 

Sさんは、再び倒れて入院し、そのまま亡くなられましたが、その直前までピアノの練習に励んでいました。車の運転に代わる道楽を見つけ、人生の終盤を楽しんで生きられたことは幸いだった。そんな内容でした。

 

残念ながら私は、Sさんのピアノの演奏を拝聴することは出来ませんでしたが、最初にピアノを見せてもらった時の、はにかんだような笑顔を忘れることは出来ません。