和尚さんの水飴

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仕事の出来ない人 (3)

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会社に期待しない生き方

最初の期末面談では、私はTさんとの距離を縮めることは出来ませんでした。あちらが何を考えているのかを知りたくても答えをはぐらかされてしまい、Tさんの本音を掴めずにいました。

 

それでも、仕事の合間の雑談や、仕事終わりの気晴らしの誘いに応じでくれるようになり、少しずつTさんと話が出来るようになってきました。

 

Tさんは、例の社長への直訴事件以前から、物怖じしない態度を上司に疎まれていたと言います。結局、あの一件はTさんを使う側に、仕事を干す理由を与えたことになったのでしょう。その後、何度か異動を経て、Tさんは幹部社員登用試験を受けられる年齢になりますが、上司になった誰もが、Tさんを幹部社員に推薦しませんでした。

 

登用試験は本人の意思と上司の推薦が必要です。本人がどんなに幹部社員になりたいと思っていても、上司が時期尚早と判断すれば、受験資格は得られません。私の想像ですが、歴代の上司は、“問題社員”のTさんを登用試験に推薦すれば、自分の評価に悪影響を及ぼすことを恐れたのではないでしょうか。

 

Tさんは上司が代わる度に幹部社員への昇格希望を伝えましたが、ある時点でそれを諦めたと言います。上司の中には、Tさんの処遇を改善するように上層部に働きかけた人もいたようですが、一度貼られた問題社員のレッテルを剥がすことは出来ませんでした。減点主義の会社にあって、過去の罰点は会社にいる限り一生ついて回ってくるのです。

 

Tさんとしては、自分のことを親身に考えてくれる上司に迷惑をかけることは本意では無く、自ら昇格を希望しないことを上司に伝えました。

 

長い会社人生、こういうことがしたい、こんなキャリアパスを進みたい、と言った自分の将来像は、仕事へのモチベーションを維持するために欠かせないものですが、Tさんは、仕事は収入源と割り切ってここまで働き続けてきました。

 

転職は考えなかったのかとの私の問いに、Tさんは、自身の年齢とキャリアから会社に留まることに決めたと言います。

 

会社にノーと言えること

アルコールが入った時のTさんの問わず語りをつなぎ合わせると、何となくTさんの生き方が見えて来たような気がします。

 

Tさんは学生結婚した奥さんと二人暮らし。お子さんはいないので、共働きの生活を30年あまり続けてきたことになります。奥さんは、Tさんが社内で冷遇されていることや昇進を諦めたことを全て知っていて、いつでも会社を辞めて良いとTさんに伝えているそうです。

 

夫婦で一番大切なのは、夫婦の時間を共有することなので、仕事よりもプライベートを優先させたい。プライベートを犠牲にして仕事はしたくない。いつでも会社に「ノー」と言える立場でありたい。

 

会社に「ノー」と言える立場とは、いつでもプライベートを第一に考えることだとTさんは言いました。上司や同僚に借りは作らない。会社から借金はしない。仕事は粛々と行なうが、上に媚を売るための余計な仕事はしない –  Tさんにとって会社は、与えられた仕事をこなし、生活の糧としての給料を受け取る、それ以上でもそれ以下でもない存在なのです。

 

そのような考え方に落ち着くまでに様々な葛藤があったのか否か、そのことについて私はTさんに尋ねたことはありませんでしたが、プライベートな時間を充実させると言う、職業とは別の生きがいを見つけられたからこそ、職場での不遇に対して恨みを抱かずに来られたのではないかと思います。

 

本当に仕事の出来ない人

はたして自分が、Tさんのように会社と仕事に対しての見切りと割り切りが出来たかと考えると、あの頃の私には自信がありませんでした。

 

当時、私は海外駐在から帰国して1年が経とうとしていた頃でしたが、久方ぶりの本社での仕事の進め方に疑問を感じながら過ごしていました。

 

外国の企業への出向で得た知見をどうしたら今の仕事に活かせるだろうか、とか、旧態然とした会社の制度を改善するにはどうしたらいいか、と考えつつも日々の仕事に流され、また上司との考え方の相違に悩まされ、時間を無為に費やしていました。

 

そんな時にTさんと一緒に仕事をする機会を得て、いろいろな話を聞かせてもらいました。それまで私は仕事の進め方に悩むことはあっても、自分の生き方そのものに焦点を当てて何かを考えたことがあまりありませんでした。

 

30代で倒れた時も、その時は家族の大切さを実感したものの、仕事に復帰すれば仕事が生活の中心に戻ってしまいました。私は、プライベートに軸足を置いたTさんの生き方を知り、改めて自分のこれからについて考えさせられました。

 

私とTさんが一緒に仕事をしたのは2年足らずでしたが、その間、いくつかのプロジェクトをリードして、課長のサポートにも尽力してくれました。若手・中堅社員の顔ぶれは当時とは変わっていますが、今でもTさんは部署内の教育担当的な立場にいます。

 

“仕事の出来ない奴”と社内で囁かれる人、その全てが本当に仕事の出来ない社員と言うわけではありません。上司や同僚にあらぬ悪評を吹聴されて、レッテルを貼られているだけの人もいるのだと思います。私の勤め先でも、Tさんのような境遇の社員が他にもいるかもしれません。

 

若手の才能の芽を摘んでしまう者、仕事の出来る人を仕事の出来ない人間に仕立て上げる者 – それこそ、仕事の出来ない人間なのだと思います。