和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

捨て石の気持ち (2)

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滞留者

毎年の期末面談は、本人が記載した目標達成表を基に行なわれます。本人の自己評価に対して直属の上司、二次評価者の部長が評価を加え、本人と面談をした上で評価のすり合わせを行ないます。

 

年度の最初に本人と上司が目標とその達成イメージを設定するので、期末のすり合わせはそれほど大変な作業にはならないはずなのです。

 

ところが、年度末を迎え、思うような成果を上げられなかった社員の中には言い訳に走る者もいます。もちろん、仕事に限らず何事にも運・不運はつきものですが、成果主義は結果に重きを置かざるを得ません。

そこを本人に納得してもらうよう諭すのも上司のつらい役目です。

 

しかし、仕事の出来・不出来の波はあっても、潜在能力のある社員は、経験年数を重ねて行くと、着実に成果を上げられるようになって行きます。単年度の成果だけを気にして言い訳を考えることに腐心するよりも、どうしたら取りこぼし無く成果を上げられるようになるのかを考える方が建設的だと思います。

 

さて、それとは反対に、設定した目標を達成イメージどおりにクリアした場合は、本人もさることながら、上司としてもこれほど嬉しいことはありません。そして、本人の能力が結実したのですから、今度は会社が本人の努力を、目に見える形で称える番になります。

 

件の彼の場合は、それが管理職登用試験の切符でした。前年に悔しい思いをした分、試験をパスして幹部社員の仲間入りをしてほしい。それが、私と直属の上司であるKさんの思いでした。

 

各部員の最終評価結果を受け手、私は人事部長と面談しました。管理職登用試験の枠から漏れた彼を救う方法は無いのか相談を持ち掛けました。

 

人事部長は言いました。「お前の前にも何人かやって来たが、個々の事情を斟酌していたら切りが無い。そもそも制度の見直しは、幹部社員の頭数を減らすのが目的なのだから、滞留者の救済と言う発想はおかしい。どうしてもと言うのであれば、自己推薦で管理職試験を受ければいい」。人事部長は、過去の管理職試験で自己推薦者が合格した例が無いことを知っていて言っているのです。

 

2度の滞留は本人にとっては屈辱のはずです。ましてや今期は本人も胸を張るだけの成果を上げているにも拘らず、自分は管理職試験すら受けられず、後輩2人に昇進で先を越されるのでは、意欲を殺ぐことにもなりかねません。

 

彼の目指すもの

登用試験の枠に入れなかったことを彼と直属の上司であるKさんにどのように伝えるか。彼の目標達成度は文句のつけどころの無いものだったので、成果がもう一つだったと言う理由は無理があります。

 

Kさんを応接室に呼び出し、事の次第を話し、今回は私が彼に直接説明すると伝えたところ、Kさんは、「会社の決定なら仕方の無いこと」と前置きした上で、彼を別の部署に異動させることを提案しました。

 

これだけの結果を残したにも拘わらず、自分の後輩二人が一足先に幹部社員に昇格するのを見せつけるのは忍びないとKさんは言います。彼ならどこでも良い結果を出せるはず。関連会社への出向や海外転勤でも構わないので彼に相応しい場所を探してほしいと私に頼んできました。

 

Kさんの顔は明らかに紅潮していました。自分の部下への仕打ちに対する怒りを何とか抑えているようでした。

 

彼の面談は私が行なうつもりでしたが、Kさんの希望もあり三者で行うことになりました。私は彼の仕事振りを改めて称えつつも、部門内の相対評価の結果、管理職登用試験の枠には入れなかったことを伝え、頭を下げました。横にいたKさんも無言で私に倣いました。

 

情実主義

面談の席上、彼は「仕方ないですね。ありがとうございました」と一言。私たちや会社の評価に対する愚痴や文句は一切口にしませんでした。彼のサバサバした表情に、私は救われた気分を感じながらも、この一年仕事をする中で強まった一体感が失われてしまったような気がしました。

 

その翌年、期末面談を直前に控えた頃、彼は転職して行きました。転職の理由を彼はこう言いました。「飼い殺しにはなりたくないです」。

 

Kさんも私も彼に最高の評価を与え、今度こそ管理職への昇格をバックアップしようと思っていたところでしたが、喉元まで出かかっていた言葉を私は飲み込みました。本来であれば、有能な社員を引き留めるのが上役の務めですが、私は彼が有能だからこそ、引き留めることを思い止まりました。彼を気持ち良く新天地に送り出すことが、有能な社員の意欲を殺いでしまった側の務めだと考えたのです。

 

その日、Kさんから誘われて、時間後に夜の街に繰り出しました。電車で数駅、会社から離れた場所を選びました。

 

その夜は、Kさんも私も杯を重ねても酔えませんでした。

 

成果主義で何が変わったのか。個々の社員の成果を適正に評価することで、社員の満足度の向上が期待できる – 制度導入時に人事部はそう言いました。それから数年経つも、社員が自分たちの評価に満足しているのか否かは分かりません。

 

かつての年功制では、とんでもないミスを犯さない限り、同期入社の社員はほぼ同じスピードで昇進していきました。滞留者はごくわずか、しかも滞留年数が2年を超えることはかなりの例外でした。自分の後輩に先を越されることもまずありません。

 

そのような、能力とは無関係の昇進を改めるための成果主義でしたが、裏で隠れて情実評価が行なわれるのであれば、適正な評価が行なわれていない点では、年功制よりも“質が悪い”と言わざるを得ません。成果が正しく反映されないなら、それは成果主義とは呼べず、社員の満足度を高める目的に逆行することになります。

 

彼の能力を一番買っていたKさんは、その夜、「悔しい」と何度も繰り返しました。