和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

安易な逃げ道の後始末

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自分に吐く嘘

以前の記事で、人を傷つけないための“事実を告げない”嘘について触れたことがあります。

lambamirstan.hatenablog.com

 

「嘘」と言うと、大概、事実と異なることを言ったり思ってもいないことを口に出したりすることですが、知っているのに知らないふりをするのも、また嘘のひとつです。

 

嘘は発覚さえしなければ、当の本人以外にとって、それは嘘にはなりません。しかし、嘘はいつか綻び始め、取り繕うとして嘘に嘘を重ねることになります。小さな嘘の綻びを繕うことを繰り返していると、後戻り出来ないほどの大きな嘘になってしまいます。

 

自分の気持ちに対する嘘は最も質の悪い嘘です。相手に対する気遣いからだとしても、自分の本音を隠し続ければそれだけ自分の望んでいない状態が続きます。自分の本音に立ち返ろうとすれば、これまでの親しい関係を壊してしまうかもしれない。それを恐れて嘘を繰り返してしまう。若い時の私の失敗がそんな感じでした。結局は、心の底で嘘を吐き通すことなど無理な話で、いつか我慢できずに偽りの気持ちは相手にもバレてしまいます。

 

妻と私の間には、どちらかが我慢をし続けるような関係にはならないよう、暗黙の了解があります。喧嘩をしても日を跨がないように心がけるのもその一つですが、お互いに相手に何をしてもらいたいのか、何をしてほしくないのかを、かなりストレートに言い合います。傍から見ると、かなりきつい口論のように見られるかもしれませんが、夫婦の間ではそれが気を遣わない関係なのだと思っています。

 

何年過ごそうと夫婦は他人同士なので、お互いに他人としての気遣いはするものの、気を遣い過ぎて自分の気持ちに嘘を吐くようになってしまっては夫婦生活を続けることは出来なくなってしまいます。その辺りの呼吸は何年経っても難しいものです。

 

その場しのぎの嘘

その場をしのぐためだけに嘘を吐いてしまう - これは、個人の話だけに限らず、会社と言う組織の中でも起こります。そして、大きな集団の中で蒔かれた嘘の種は、最初は小さく誰の目にも留まらないものでも、放っておくと手をつけられないほどの巨大なものになります。

 

以前の記事で触れましたが、私は上の人間から、赤字続きの関連会社を何としてでも黒字化しろと無理難題を押しつけられました。当時私は一介のヒラ社員でしたが、部長や課長と共謀して決算書の粉飾をしていたら、一人の人間の嘘では済まない話になっていました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

しかし、考えてみると、会社の仕事では、自分の上司が勝手に切ってきた“空手形のツケ”を負わされることが少なからずありました。そして、上司が安請け合いしてきた出鱈目な話を実現するために走り回ったこともありました。明らかに法に触れるようなことを除き、私は嘘を本当にするためにかなりの時間を費やしてきたことになります。

 

最初は出鱈目だった話も現実のものとなれば嘘では無くなります。そのために奔走し、それなりの成果を残してきたのも事実です。ただ、一歩間違えば責任問題にもなりかねないことには、できれば手を出したくないものです。

 

数年前、忘年会か新年会か忘れましたが、本部のほぼ全員がいる前で、私の上司だった担当役員にそんな話をしたところ、「自ら退路をたってこそ本領を発揮できると言うものだ」と言われたことがありました。自分の出まかせの後始末を下の人間に押し付ける上司に、私はカチンと来ました。私が「常務のなさっていることは、部下を崖っぷちに追い詰めているだけですよ」と言い返したところ、ものすごい形相で怒られてしまいました。

 

役員とは言え、自分の身が可愛いのは仕方の無いことなのでしょう。しかし、上層部に対して裏付けの無い約束をするのは、どのような理由付けをしても、嘘であることに変わりありません。また、いざと言う時に部下にとっての防波堤になるのが上の人間の役割のはずですが、そういうことが出来ない、あるいは、するつもりが無いのであれば、職を辞するのが組織のためになるのだと考えます。

 

仕事でもプライベートでも、嘘や出まかせは言いたくありません。後で苦労するのが分かっているからです。その場をやり過ごす安易な方法に慣れてしまうと、それに巻き込まれた周囲の人間の迷惑など省みることも無くなるでしょうし、嘘を吐くことに対する罪悪感も麻痺してしまうのでしょう。

 

自分を利するためであれ、他人のためであれ、嘘の後始末は誰かを巻き込むことになります。その時々がどんなにつらくても、自分にも他人にも正直であるのが楽な生き方なのだと思います。