和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

依存と共存 夫婦のあり方

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新しい人格

私たち夫婦にとっての結婚は、当初、“何となく”と言うものでした。もちろん、いい加減なつもりで付き合っていたわけでは無く、結婚は真剣に考えた結果の上での選択でした。しかし、当時の私にとって、それは同棲生活の延長であり、同棲との違いは、公式な届け出を出すか出さないか、だと思っていました。

 

もっとも、私たちは、“お試し期間”として同棲生活を経たわけでは無く、結婚して初めて同じ屋根の下で暮らし始めたので、それまで付き合ってきた期間では分からなかったお互いの素顔を後になってから知ることになったわけです。

 

私にとっての妻の知られざる素顔は、全てにおいて慎重、悪く言えば心配性であること。妻にとっての私のそれは、楽天的で無計画なところだったと思います。このような正反対の性格は付き合っている時から、お互いに薄々は感じ取っていましたが、それほど気になるものではありませんでした。

 

付き合っている期間は、お互いに自分の良いところを相手に見せようとして、それなりの抑制が効いた状態だったのでしょう。また、相手の良い面を見ようと言う意識 – 裏を返せば、相手の欠点には目を瞑ろうと言う意識 – が働くため、頭の中で目の前の相手が自分の探し求めていた女性、あるいは男性なのだと、無意識のうちに言い聞かせていたのだと思います。

 

そのように、気持ち的なピークで結婚を迎えるとどうなるかと言うと、共同生活の中で相手の悪い面ばかりに目が行くようになるのです。さらには、今まで相手の長所だと言い聞かせていたものが、突如として欠点に見えてきてしまいます。

 

そんな感じで、私たち夫婦の蜜月は結婚後3か月も持たずに終わりを告げます。些細な事が原因の喧嘩も絶えず、楽しくない毎日が過ぎて行きました。

 

喧嘩は絶えませんでしたが、だからと言って私は妻を嫌いになったわけでは無く、何とかして関係の修復を図ろうと考えていました。その頃の妻の気持ちは大分後になってから知ることになるのですが、二人の性格の違いがこんなにも大きく、共通点を見出すことが出来ず、何を手掛かりにして歩み寄ればいいのか途方に暮れていたと言います。

 

ただ、今になって思えば、結婚前にあまり事細かにお互いの性格を見極めなくて良かったとも思っています。もし、そんなことをしたら、お互いにそれぞれを結婚相手として選んでいなかったかもしれません。

 

私たちにとって幸いだったのは、結婚前に決めておいた夫婦生活のルールをお互いに破らずに守り続けたことでした。諍い事は日を跨がないことにしていたので、どんなに酷い喧嘩をしても、翌朝は普通に会話をしました。また、家計管理は二人で行うことにしていたので、嫌なことがあったからと言って、ショッピングで憂さ晴らしをしたり、自棄酒をしたりすることもありませんでした。

 

日々の対話のチャンネルを保ち続けていると、言葉の端々から相手の気持ちが理解できるようになってきます。いつの、何がきっかけになったか、すでに忘れてしまいましたが、ある日を境に、私は妻の聞き役に徹することにしました。それは、毎日喧嘩を続けることにうんざりしてしまったとか、歩み寄ることを諦めた、と言う負の感情によるものでは無く、自分と結婚した相手のことをもっと知りたいと言う気持ちから発したものでした。

 

また、自分の考えを主張し、相手を説き伏せ、時には論破する – そのような自分の考えの押し付けでは、妻との関係を深めることが出来ないことに遅まきながら気がついたのでした。むしろ、何故、妻がここまで慎重なのか、何故、物事を悲観的に捉えるのか、元々の性格なのか、何か理由があるのか、不安や心配を払拭するにはどうしたらいいのか。相手に寄り添うことで、その気持ちを理解出来ることに気がついたのは、結婚して大分経ってからのことでした。

 

お互いに正反対の性格の者同士ではありましたが、結婚して夫婦としての新たな人格を作り上げていく – そんなイメージで、共同生活が軌道に乗ったと自信が持てるようになったのは、結婚一周年を翌月に迎える頃のことでした。

 

寄生か共生か

家族を養うために安定した収入を得ることは大切なことであるのは言うまでもありません。しかし、それと同時に家計の切り盛りや家事を欠かすことは出来ません。どちらかが疎かになれば、健全な家庭を築くことは出来ません。

 

共働きであろうと無かろうと、夫婦の間で収入に差があろうと無かろうと、生活を営むことは家族全員の責任なのです。稼ぎ手を金づるとしか考えなかったり、主婦(主夫)を召使のように扱うことは、役割を全うしようとする側に寄生していることと同じです。

 

家計が苦しければ、専業主婦(主夫)とて、パートで稼ぐ必要もあるでしょう。子育てや両親の看護などで家事が行き届かないのであれば、「仕事が忙しいから」などと言い訳を考える間に皿の一つでも洗うべきです。家族として共に生きて行くと言うことは、負担を分かち合うことを負担と思わないことなのだと思います。

 

家庭内の役割を“負担”と考えると、何か損をした気分になります。しかし、見方を変えて、自分の役割を家族への“貢献”と考えると、同じ役割でも前向きに取り組めるのではないでしょうか。