和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

危機感の喪失 見えないコロナ禍収束

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コロナはただの風邪か

昨年、渋谷駅前などで「クラスターフェス」なる抗議デモが何度が開催され、ニュースにもなりました。彼らは、新型コロナをただの風邪だとして、マスク着用やPCR検査を“必要無いもの”と主張しました。

 

コロナ禍以前でも、風邪気味にも拘わらず通勤・通学しなければならなかったり、予防のためだったり、理由は様々ですが、マスクを着用する人々は相当数いました。

 

感染力が把握しきれていない新型の感染症であれば、予防手段としてマスクの着用は合理的であり、新型コロナの感染が拡大する中、行政がそれを要請することに私は違和感を覚えませんでした。

 

事実、通勤電車の中でも、街中でも、行き交う人々のほとんどがマスクを着用しています。それは、行政からの押し付けに屈しているわけでは無く、多くの人々がマスク着用の必要性を感じているからなのだと思います。

 

もし、満員電車の中にマスクを着用せずに、大声で喚き散らす者が乗車してきたとしたら、周囲の人々は不安を感じるでしょうし、その場から離れたいと思うでしょう。そのような傍若無人な振舞いが、ストレスを抱えている自粛生活にさらなるストレスを与えることは、小学生でも分かる話です。

 

新型コロナが本当に“ただの風邪”なのか否か。その議論はさておき、普通の暮らしを望んでいる一般の人々の不安を駆り立てるような行為を正当化できる理由などありません。

 

危機管理意識の麻痺

飛沫感染の予防のためのマスク着用だったはずですが、これを徹底することができなければ、予防の意味を成しません。

 

その点、マスク着用と併せて、当初から言われていた「密」や「不要不急の外出」の回避を継続することが必要でした。Go to トラベルやGo to イート、それ自体を悪者にすることは短絡的で無意味な議論だと思います。公共交通機関での移動や外食が直接的な感染原因ではないからです。

 

しかし、この手の“キャンペーン”により、一定期間に多数の人間が“扇動された”結果、「密を避ける」と言う基本が疎かになってしまった人々が感染を拡大させたことは容易に想像できます。

 

思うに、昨春、新規感染者数があと一歩でゼロになる直前に、緊急事態宣言が解除されましたが、そこからじわじわと緩み続けた危機意識にGo toキャンペーンが拍車をかけたと言うことなのでしょう。

 

行政が緊急事態を解除したのだから、良い方向に向かっている。行政が大丈夫だと判断したから、Go toキャンペーンを行なった。感染者は増えているけれど、行政が緊急事態宣言を出していないから、まだ大丈夫なのだ・・・。そのように楽観的な考えが増えてきていたのではないでしょうか。

 

感染者数が増え続ける最中、私の勤め先の役員の中にも、行政が宣言を出さない限り緊急事態ではないと言い放った者がいましたが、昨年末の感染急拡大を目の当たりにして、ただごとではないと感じた人々は多かったはずです。あの時は、まだ行政の宣言はありませんでしたが、私たちはとっくの昔に緊急事態の中に身を置いていたのです。

 

危機管理意識があれば、他者に判断を委ねるのではなく、自分で考えて行動できるはずです。我が家は、日頃からトイレットペーパーやマスク、その他必需品の備蓄を行なっています。よもや、昨春のような、店の棚が空になるような供給不足に陥ることは無いと信じていますが、不測の事態に備えるのが危機管理だと思っています。

 

誰のための緊急事態なのか

メディアの報道では、病床数の逼迫など医療崩壊の危機が伝えられています。医療の状況は住む地域によって異なるので一概には言えないのでしょうが、私は、新型コロナに感染し重篤化すると、死亡する可能性が高まったと考えています。それは、この病気自体の強毒化と言うことでは無く、必要な時に入院できる病院が減ってきていることに対する懸念です。

 

感染に対する自衛策はこれまでも続けてきてはいますが、より一層の注意が必要です。自分の身は自分で守ると言う基本を忘れないことが大事なのだと思います。

 

私は、昨年一年を通じて、基本的に在宅勤務を続けてきており、部署の面々にも“不要不急の出社”は控えるように言い続けてきました。担当役員からは何度も週半分程度の出勤を検討するように促されました。しかし、万が一私が、通勤途上あるいは出社中に新型コロナに感染した場合、会社がどこまで面倒を見てくれるでしょうか。私が重い後遺症を患ったとしても、会社が私の面倒を一生見てくれるわけではありません。自分の身は自分で守るしかないのです。

 

「自粛」と聞くと、不自由を我慢する先に、もとの生活に戻れるイメージが湧きます。私も、いつか、この自粛生活が明けることに期待していますが、それは、数日とか数か月の話では無さそうだと感じています。

 

もちろん、希望を持ち続けることは大切です。しかし、一方で現実から目を背けてしまうと、逆に治りかけた傷口が再び開いてしまう結果にもなりかねません。そのためにも、自らの危機管理意識で行動を続けることが、コロナ禍の中での生活を維持するためには必要なことなのだと考えます。