和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

自粛生活 シーズン2

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頬に受ける風

妻の看病のため、私は今週から約2か月間の介護休業に入りました。妻の予後は良好で、ひと安心しています。妻は退院後もリンパ液を排出するためのドレインパックをつけたままですが、主治医の先生からは、できるだけ体を動かすよう言われているので、午前中の1時間ほどを散歩の時間に割り当てることにしました。

 

昨日は散歩の初日でしたが、早朝のまだ人通りのほとんど無い中、妻と肩を並べてゆっくり近所を散策してみました。行き交う人もいなかったので、つけていたマスクを外してみると、ひんやりとしたそよ風が頬に当たるのを感じます。マスクを外し冷気の気持ち良さを感じることで、これまで忘れていた、マスクで顔を覆うことの不快感が呼び戻された気がします。

 

思えば、昨年の花見のシーズンの頃から、外出時のマスク着用をし始めたと記憶しています。それからあっという間に1年が過ぎてしまいました。来年の花見のシーズンには、できればマスクを外して、思いっきり深呼吸できる日が来ていることを祈るばかりです。

 

きれいな花見

一昨年までは、毎年場所を変えて家族で花見をしていました。午後や夜は人出も多くなり、たまに酔客の醜態に出くわすこともあるため、私たちは、いつも、午前中に桜の咲き誇った花見スポットを歩いて回り、昼食を摂って帰宅するのがお決まりのコースになっていました。

 

それが、昨年は、方々で屋外での宴会が禁止されたため、喧噪とごみの無い“きれいな花見”を楽しむことが出来ました。桜の木の下を、ただそぞろ歩くだけで何となく気持ちが癒されるのは、単なる心の持ち様なのでしょうが、数十年生きて来て、遅ればせながら桜を愛でる楽しみを知った気がしました。

 

いわゆる自粛生活が続くのは勘弁願いたいところですが、こんな感じで花見を楽しむことが出来るのであれば、公共の場所での宴会は無くした方が良いと思いました。

 

自粛疲れと緩み

首都圏での緊急事態宣言が解除されてから1週間余りが経ちましたが、何か変わったのかと言えば、何も変わっていません。昨年の同時期と比較すれば、新規感染者数も入院患者数も大きく上回っており、コロナ禍が沈静に向かう兆しは見られません。

 

これを深刻な事態と受け止めるべきなのか否か。私も良く分からなくなってきました。私の勤め先では、散発的にコロナの陽性反応者を確認し、その都度、濃厚接触者の自宅待機を命じるなど、当座しのぎ的な対応を繰り返しています。

年明け早々に、全社員向けに「在宅勤務に関するアンケート」が行なわれ、先日ようやく結果が公表されました。

 

現在の在宅勤務は、新型コロナ対策として暫定的に実施されているものですが、これを正式に制度化させることについては、回答者の8割以上が賛成していました。自分自身や家族への感染予防の方策として在宅勤務の継続を希望する声が大半でしたが、コロナ対策とは切り離して、働き方の見直しの観点から、在宅を主な勤務形態として選択できるようにすべきとの声もありました。他方、少数派は、在宅勤務の日数制限や全廃を主張していますが、在宅勤務による労務管理の不徹底や業務沈滞の他、閉塞された勤務環境でのストレスの蓄積や自粛疲れなどの理由が見られました。

 

アンケートの結果を反映させたわけではないのでしょうが、会社では当面、在宅勤務を継続することにしたようです。私は賛成派なので、会社の判断は大歓迎ですが、在宅勤務下でのストレス対策はこれから先、特に注意を払う必要があるのだと思いました。別の記事で触れましたが、部下への目が届きにくい在宅勤務において、社員の体調管理は重要性を増し、これまで以上にきめ細やかな対応が迫られる課題です。

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在宅勤務や自粛生活の疲れと同時に、気の緩みも警戒を要するものです。これだけ長期間の自粛生活を余儀なくされ、人によっては、「楽しみを奪われた」と、この一年を忌々しく思いながら過ごしてきた人もいるのではないでしょうか。ましてや、自分や家族、知人の中で感染者が発生していなければ、自分は大丈夫と言う、根拠の無い自信が芽生えてくる可能性もあります。

 

自粛生活が長引けばそれだけ、一旦緩んでしまった気持ちを引き締めることは容易いことではありません。来年の今頃、私たちはどのような格好で桜の木の下を歩いているのでしょうか。