自分しか見えない
三十代半ばで一度壊れかけた私は、必要以上に仕事に没頭しないようになりました。妻からは事あるごとに無理をしないように言われ、それは、幼かった娘が真似るほどに妻の口癖になってしまいました。
桜の花が散り始めた頃に職場復帰した私は、以前よりも周囲の目を気にするようになりました。自分は部署のお荷物、厄介者扱いされているのではないか。同僚が発した言葉の裏の意味を探ろうとしたり、陰で自分のことをどう噂しているのだろう気にしたりと、そんなことばかりを気にしてあまり仕事に集中出来ていませんでした。
会社までの通勤時間は気が重く、終業時間後は一秒でも早く家にたどり着きたい – そんな日々を送っていましたが、当時、娘たちも小さかったため、仕事を辞めていた妻が家を守ってくれていたことが私には幸いしました。
今にして思えば、その頃の私は、本当はまだ職場復帰するには早すぎたのかもしれません。心の状態が逆戻りすること無く快復に向かうことが出来たのは、自分の不安に耳を傾けてくれる妻が傍にいてくれたからでした。
私が周囲の目を気にし過ぎるようになっていたのは、自分のことだけしか考えられなかったからなのでしょう。私には、妻がどのような思いで自分に接していたかなど想像しようとすらしませんでした。そのことを妻に聞こうと思ったことは何度もありましたが、私にはその質問を口にする勇気が未だにありません。
心配性の妻。私が仕事を離れて休養に入った時、心療内科の先生の話に耳を傾けてメモを取っていたのは妻です。私はその横で他人事のように先生と妻の様子を見ていただけでした。
日中は人目を憚って外出を躊躇っていた私に、夜の散歩を提案してくれたのも妻でした。それまで、夜空に浮かぶ月を見るゆとりさえ失っていた私を元気づけてくれたのも妻でした。
私の休養期間が長引くことや、最悪、仕事に戻れなくなる可能性さえあったわけですから、私を励まし続けていても、きっと妻は内心不安で堪らなかったことでしょう。
今、私はあの頃の自分を客観的に思い返すことが出来るようになりましたが、妻には当時の心細さやつらさを思い出してもらいたくはありません。いつか妻がそのことを笑い話として口に出すまで、私からはその話題に触れることはありません。
心に波を立てず
自分の見ている世界は、その時の心の状態を表す鏡です。どんなにきれいな月が目に映っていても、それを愛でることが出来なければ、見ている世界は味気ないものでしょう。
同様に、食事にしても、音楽にしても、肌の温もりにしても、その良さを知るためには、そのための心の状態が必要です。
歳柄からか、私はここ数年一喜一憂することが無くなりました。心が鈍感になったわけでは無く、無駄に落ち込まず無駄にはしゃぎ過ぎず、淡々と落ち着きを保っていられるように心がけています。
もちろん、何か思いがけない良いことがあれば、ウキウキした気分を味わうこともありますが、そのような多幸感は一時なものです。反対に酷く落ち込むような目に遭ってもそれを引き摺るのはよろしくありません。
穏やかな水面のような心を持ち続けることが一番リラックス出来ると言うのが、遅まきながら私がたどり着いた結論です。
見える世界
私が初めて部長職となった時、私の前任者は、「見える世界が変わる」と自信満々に言いました。残念ながら、私にはその素養が無かったのでしょう。見える世界が変わることはありませんでした。
前任者は多分、役職と自分の価値を混同していたのだと思います。その人は数年後に関連会社に出向したまま定年を迎えましたが、会社人生の晩年は自分を不甲斐ない人間だと愚痴をこぼすようになっていました。
前任者が自虐的になる必要などどこにもありませんでした。かつて「見える世界が変わる」 – おそらく私を励ますつもりで投げかけた言葉だったのでしょうが – と言っていた人間が、見える世界を自分で悪い方に変えてしまったのです。
目に映る世界など、社内での地位や権限で変わるものではありませんし、変えてしまってはいけないのだと思います。
自分の見ている世界は、心の持ち様でバラ色にも灰色にもなるのでしょうが、私はどちらも望みません。今目に映る世界をありのまま楽しめる自分であり続けたいと願うだけです。