和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

基本の見直し

人手が足りない

先日部長から、部内で作成する稟議書や会議資料の査読の担当を命じられました。4月の組織改編後、部長も課長も仕事が増えて手一杯の状態だと言い訳をしていましたが、業務がオーバーフローすることは、新体制になる以前から何度も指摘して来たところです。

 

稟議書は部長が持ち回りするのが慣行なのだから自分で目を通して、課長なり起案した部員に直させるべきなのです。そのことを部長に伝えると、書類の修正が多過ぎて手に負えないと泣きが入りました。

 

問題は、二つある課の一方だけのものでした。課長以下の面々は、私が部長だった頃とほとんど変わっていません。一年あまりの間に部員の質がそれほどに劣化するとは考えられず、何が原因なのか私はすぐには思い当たる原因を見つけられませんでした。

 

当の課長に事情を聞くと、今まで課長の直下で補佐をしていた中堅社員が若手の面倒を見なくなったことが理由のようでした。

 

人を減らされ仕事が増え、その上、今までと変わらず後輩の面倒も見るとなると、自ずと残業時間が増えることとなりますが、件の中堅社員は、「残業はしない」と課長にきっぱりと言ったそうです。

 

「残業はしない」と言うのは、私が部長だった頃に部下に伝えた目標でした。業務の棚卸しを行ない、仕事の分担を見直した上で、部全体で残業をゼロにすることを組織目標に掲げたことがありました。部員で吸収しきれない仕事は部課長が負うこととなります。部の欠員を適宜補充することや業務分担の最適化は管理職の仕事です。人手が足りないのであれば、そのしわ寄せは立場の弱い部員では無く、管理職が引き受けるか、工夫をして仕事を減らすしかないのです。

 

中堅社員のささやかな反抗は、人手不足の責任の所在を課長に分からせるためなのでは、と私は勝手に推測しました。

 

写経とペンだこ

それにしても、部下の上げて来た書類を部長に回す前に査読し、必要に応じて加除修正するのが課長の仕事なのですが、そんな余裕も無いほどに忙殺されているのだとしたら、自業自得と思う反面、ここで私が正論に拘り過ぎるのも大人げないと言う思いが頭を過りました。

 

部長から査読の仕事を請け負ってから、まだそれほど日も経っておらず、私のところに上がってきた稟議書はわずか4通。しかし、直すべき箇所の多さに私は軽い眩暈を覚えました。

 

これまで、かの中堅社員が“出来の悪い”書類の手直しやって来てくれたため、課長以上は自分の仕事に集中出来たのでした。

 

他方、中堅社員が関与しなくなった途端に、書類の質が劣化したとなると、そもそも下書きを任されていた若手社員の作文が使えるレベルに無かったことになるので、課としての文章力の底上げは必達目標だと感じました。

 

私が部長だった頃にこのことに気がつかなかったのは、今にして思えば、部の中でチェック機能が働いていたからで、その責任は私にあったのです。

 

しかし、文章力の底上げなど短期間で出来るものでは無いのです。

 

私が入社したばかりの頃、稟議書や社内の承認文書は全て手書きでした。書類の改ざんを防ぐ意味もあったのでしょうが、手書きであることが稟議書の“格調”を維持することになると総務部は考えていたのかもしれません。

 

手書きの慣習は、各社員にパソコンが与えられるようになってからも続きました。

 

稟議書の下書きは若手社員の仕事でしたが、私にとってこの作業は悪夢以外の何物でもありませんでした。決裁済みの書類を引っ張り出してきては、文章を拝借して書き上げて行くのですが、それまで使ったことも無い言い回しに慣れるまでかなりの時間がかかりました。それでも、過去の書類を手本として、それらを日々書き写すこと - 先輩社員は“写経”と言っていました - を繰り返すことで、社用文の文体や体裁を会得することが出来たのです。

 

また、誤字脱字にも神経を使うようになりました。手書きの稟議書を修正する際には、間違いに二重線を引き、訂正印 - 今の若い人にとっては馴染みが無いかもしれません – を押印した上で、余白に追記することになりますが、書き損じは一通の稟議書で三か所まで。それ以上書き間違えれば書き直しとなります。

 

やっとの思いで書類を完成させても、上司からダメ出しされれば、書き直し。ようやく起案しても、合議先の部署や役員からダメ出しが出れば書き直し。同じ稟議書を何度書き直したことか。入社して一年も過ぎた頃には、私の指には“ペンだこ”が出来ていました。

 

総務部から、社内承認文書の作成にワープロを使用することが認められたのは、私が30代に差しかかってからでした。すでに私は下書きの役は卒業していましたが、若手社員にとって仕事が格段に効率化されたのは間違いありません。しかし、同時に、それ以降の若手社員の文章力は低下していったと思います。

 

“初歩の”下書き作業が、下記写しからコピペに代わったため、若手社員はいつまで経っても自分で“更地から”文章を書き上げる機会がほとんど無くなりました。方々からコピペして完成させた文章は、往々にして出来の悪いパッチワークとなり、文体の統一感が無く、文章の“揺らぎ”が解消されないままなので、見る人が見れば、一目で“手抜き”がばれてしまいます。

 

もっとも、今のワープロソフトは優れた文章校正機能が備わってるので、基本的な誤りは未然に防ぐことが出来るようにはなりましたが、それに頼っているだけでは社内で通用する書類には仕上がりません。やはり、最終的には書き手の力量が必要になるのです。

 

確認と角煮

先週、稟議書を下書きしてくれた若手社員とマンツーマンで文章の確認作業をしました。彼女と直接話をすうのは数か月ぶりでしたが、かなり落ち込んでいました。これまでは自分の下書きを先輩社員が手直しして課長に上げていたので、自分の下書きの“酷さ”を自覚することが無かったと言います。先輩社員が自身の仕事で忙殺されるようになってから、課長に直接書類を上げるようになったようですが、そこで何度も叱責される目に遭い自信を喪失しているようでした。

 

彼女を元気づけようと試みましたが、確かに私が見ても彼女の下書きはどこを誉めればいいのやらと言ったもので、作文力の底上げには少々時間がかかりそうな予感がしました。

 

「確認「が「角煮」に、「供給」が「共有」に、数字やアルファベットは全角と半角が入り混じっていて、“ツッコミどころ”が満載の稟議書が私のところに回ってきました。これは、もしや私の文書校正力を試しているのではと疑ったほどです。

 

ペンだこや写経の経験の無い彼女が、部長から“一発合格”の稟議書を書けるようになるには長い道のりが必要なようです。これまで彼女の仕事は“やりっ放し”でした。後は先輩社員が見てくれるだろうと言う甘えがありました。文章力の底上げ以前に、まずは自分の仕事を丹念に確認する基本を見直すところから始めなければなりません。