和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

神頼みと奇跡

神頼み

妻の父親は二十年ほど前に胃癌で亡くなったのですが、高齢のためか進行が遅く、お医者さんの見立てよりも長く生きることが出来ました。

 

病院は終末医療を受けるに相応しいホスピスを紹介し、妻の兄姉は父親を転院させることを相談したそうですが、義父は住み慣れた家で最後の時間を過ごしたいと願い、その願いどおりに亡くなるまでの十カ月余り、家族水入らずの穏やかな日々を送ることができました。

 

田舎の付き合いでは、近所の家の事情は筒抜けで、義父の病気もあっという間に周囲の知るところとなりました。その中には、民間療法や祈祷師(!)による厄払いを勧める世話好きな人もいたようです。家族は、義父が治療による改善の見込みの無いことをお医者さんから言い渡されていたので、隣人からの“親切な勧め”は丁重に断るように義母に言い含めていました。

 

ところが、ある時、義母がどこからか高額のお札を買ったことが分かり、実家を離れていた義兄は再び両親と暮らすことになりました。義兄は結婚当初、両親と同居していたそうですが、義母と義兄の連れ合いとの折り合いが悪く、しばらくして義兄夫婦は実家を離れることとなりました。そのような経緯から、義兄が独りで両親と同居することとなりました。

 

後から義兄に聞いた話では、時折、宗教の勧誘や得体の知れない物を売りつけようとする者が来たと言います。ひとの家の不幸や不安を金儲けに利用する人間は今も昔も後を絶ちませんが、藁をも掴みたい気持ちの人間は、百ある嘘の中に救いを見出そうと必死になります。

 

まさに義母がそんな状態だったので、もし、義兄がついていなかったら、身ぐるみを剝がされたかもしれません。

 

騙す側、騙される側

簡単に騙されるはずはないと思っていた義母が – しかも、周りから気をつけるように注意されていたにも拘わらず – 騙されてしまいました。しかし、神にすがりたいと言う義母の気持ちが警戒心を上回ったのだとしても、それを責めることは出来ないと私は思いました。

 

自分や家族の病気を治したいと言う切実な思いにつけ込まれてなけなしの財産を失ってしまう人は、決して無知では無く、そうやって人を騙してお金を奪い取ろうとする人間がいることを分かっていても、自分が苦しい立場に置かれると冷静な判断が出来なくなってしまうのです。

 

オレオレ詐欺も然りで、あれだけメディアが注意喚起を発信していても、騙される人が後を絶たないのは、自分の子や孫が困っていると聞かされると、落ち着いて状況を判断するゆとりが無くなってしまうのでしょう。

 

霊感商法、特殊詐欺、投資詐欺。そのような犯罪に加担したりする人間の中には、もしかしたら自分が悪事を働いていると言う自覚が無い者も少なく無いのかもしれません。人助けをしていると本当に信じ込まされているかもしれません。高齢者が悠々自適の生活を送っている反面、若い世代が割を食っていると思い込まされているかもしれません。

 

悪事に加わっていると言う自覚が無いばかりか、自身の行為を正当化する理屈を吹き込まれ罪悪感を失ってしまった者は、犯罪者であると同時に被害者でもあります。一人では誰かを騙そうなどと企むことも無い無垢な人間でも、些細なきっかけで人の道を外れることがあるのでしょう。

 

他者の財産を侵害して良い理由など無いことは、冷静に考えれば分かり切っていることですが、そのような冷静さを麻痺させてしまうところに集団の怖さがあります。

 

奇跡を買う

話が逸れました。

 

さて、妻も私も、幸いにしてこれまで詐欺に遭ったことはありませんが、今後どうなるかは分かりません。

 

私は妻の抗がん剤投与のための通院に付き添っているのですが、以前、家族の待合室でお会いした方の話を聞いて身につまされたことがあります。

 

その方は、妻や私よりも一回りくらい上の女性でしたが、ご主人の付き添いで病院を訪れていました。その女性は、病院の先生やスタッフがとても良くしてくれることを有難がっていましたが、そのうちに、以前受けていた民間療法の話になりました。

 

ご主人はそれまで通っていた別の病院での治療を止めて、知人から勧められた民間療法に賭けたものの、貯金が底をついたために通常の病院での治療に戻ることになったと言います。

 

こちらから細かいことまで聞くわけに行かず、ご主人の今の状態は定かではありませんが、その方の話では、民間療法を受けている間に病状が悪化したことは分かりました。

 

私とて、妻ががんの宣告を受けてから、セカンドオピニオンを受けさせるべきか、民間療法は効果があるのかなど、いろいろ調べましたが、結局、今の病院にお世話になることに決めました。それでも、患者の家族としてみれば、病気を治してもらえるなら何でもしてやりたいと言う心情になるのは確かで、妻や私も、今とは違う治療に賭けていたかもしれません。そう考えると、その女性に待合室で聞かされた話は、自分たちとは無関係と切り捨てることは出来ないのでした。

 

お金で自分に都合の良い将来を手に入れられるなら、それほど楽なことはありませんが、世の中、そう甘くはありません。奇跡は簡単には起きないから奇跡なのであって、神頼みで叶えられるものでも、お金で買えるものでも無いのだと思います。