発覚
姪のマンション購入は一年余り前の話でしたが、当時それを知っていたのは妻と二人の義兄だけでした。妻は姪から「両親には自分から話すので」と口止めされていました。
私は嫌な予感しかせず、過去の記事でもそのように書いていました。
この記事を書いたのは昨年の九月のことでしたが、その時すでに姪がマンションを買って賃貸のアパートから引っ越ししたことは二番目の義兄から義姉に伝わっていました。
義兄は定年退職の後、縁もゆかりもない北海道に終の棲家を求めて移住しました。そこには、身内との距離を置いて自由になりたいとの思いがあったのではないでしょうか。義兄は、義姉と姪のぎくしゃくした関係を自分と重ね合わせていたのかもしれません。しかし、姪がマンションを買ったことが義姉の知るところとなっても状況が改善されるわけはありません。
母と姉
姪は、両親の新居訪問を快く受け入れたわけではないのでしょう。妻に助けを求めたことがそれを示しています。私は、身内とはいえ気が進まないのであれば無理に姪の“助太刀”をする必要のないことをやんわりと妻に伝えました。新年早々、あえて嫌な思いをすることもありません。
ところが、妻は、自分の姉と一度きちんと話さなければならないのだと言います。
親の子どもへの期待は、子どもの将来への過度な干渉にもなり得ます。妻は就職して間もなく、息が詰まる実家を飛び出して独り暮らしを始めました。自分の生き方に口出ししてほしくない – その思いを母親に伝えようとしても子どものわがままだと一蹴され続け、妻は説得を断念しました。
妻が私と結婚し子ども二人を授かった後、義母の関係は修復したように見えました。子は鎹ならぬ孫は鎹なのだと暢気に考えていた私でしたが、妻の内心では依然として母親を許すことができないでいたようです。
義母の死によって、妻の胸のつかえは解消されないままとなっているのかもしれません。そして、母親に似てきた義姉と、その親子の関係がかつての自分と母親を思い出させるものだったことから、妻は姪を助けることで自分の心を救済しようとしているのではないかと私は想像しました。
もしかしたら、私が想像しているほど大袈裟なものではなく、妻としてはただ単に困っている姪を庇おうとしているだけなのかもしれません。妻は、夕方には帰ると言って昼前に姪の家に出かけていきました。(続く)