和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

親の愚痴と子どもの愚痴(1)

義姉の愚痴

コロナ禍以来、盆暮れ正月に親族で集まることはなくなりました。この正月も義姉から久しぶりに会いたいと言われた妻はそれをやんわりと断ったそうです。年明け早々に身内の愚痴を聞かされたくないというのが理由でした。

 

私は、妻が義姉を疎んじていることを知っています。年を追うごとに姉が母親に似てきたと言う妻。生き方全般に干渉されることを嫌い、姉との距離を取ろうとする妻の気持ちも分かります。

 

義姉の愚痴の大半は子どもに関するものです。早く結婚して孫の顔を見せてもらいたい - 身内が一同に会するたびに義姉の口からこぼれる“期待”。それを適当にかわしてきた甥と姪でしたが、やがて甥も姪も身内の集まりに顔を出さなくなり、義姉の愚痴は笑える“ネタ”ではなくなりました。

 

子どもとはいえ、甥も姪もすでに四十代に差しかかり独立して生計を立てています。親として心配の種などないはずなのです。結婚も孫の顔も、親の勝手な欲を子どもへの期待にすり替えているだけなのですが、未だに義姉はそれを認められずにいるようです。妻はそんな姉の愚痴の受け皿になることを望んでいません。

 

所詮は他人

義母の生前、私は年に一度か二度会う義母の聞き役でした。義姉も義兄も妻も、きっと親の“長い話”を聞くことにうんざりしていたのだと思います。

 

義兄はそんな私に「どちらが本当の息子か分からない」などと冗談を言ったことがあります。私は本当の息子ではないから、義母に優しく接することができたのだと思っています。所詮は他人だから優しい振りができたのです。

 

私は妻とは別の意味で、義姉と義母を重ね合わせて見るようになりました。よその親の愚痴を聞いていて楽しいわけなどありませんが、義姉が不満を吐き出すことで気が楽になるのであれば、所詮は他人の私が一役買っても誰からも文句は言われないのだろうとぼんやりと考えていました。

 

晦日の昼過ぎに、姪から妻に電話がありました。年明けに家に来てほしいとの頼みでした。マンションを買って一国一城の主となった姪に、「順番が違う」と不満を口にした義姉を他の兄弟や妻が宥めすかして事なきを得たのは昨夏のことでした。

 

経緯は定かではありませんが、新年に両親が“乗り込んでくる”ことになった姪は、妻に助けを求めたのでした。(続く)