和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

歳は取るもの

おじさん

義姉と妻は十五も歳が離れているので、傍からは姉妹というより伯母と姪のように見えます。

 

私が妻と結婚した時、義姉夫婦には中学生の男の子と小学生の女の子がいました。私にとっては義理の甥と姪になるのですが、姪から「おじさん」と呼ばれた時には、当時二十代半ばの私はその言葉に少なからず戸惑いを覚えました。

 

彼女からしてみれば私は叔母の連れ合いなのですから、「おじさん」であることには間違いありませんが、その呼び方は何とかならないものかと妻に尋ねました。

 

妻は、自分が高校生の時にはすでに「おばちゃん」と呼ばれていたのだから、と私の遠慮がちなクレームを一笑に付し、さらに、小学生から見れば二十代半ばを過ぎればみんな「おじさん・おばさん」なのだと追い打ちをかけました。

 

おばさんと呼ぶなかれ

上の娘がまだ幼稚園に通っていた頃、トモダチの親に対しては「○○ちゃんのママ」とか「○○ちゃんのパパ」と呼ぶようにとの“お触れ”がPTAから出されました。園児たちから「おばちゃん」と呼ばれたとある母親がクラスの懇親会で“問題提起”をしたのが発端だそうです。

 

「おばちゃん」や「おじちゃん」は子どもからすれば親しみを込めた呼びかけでも、それを不快に感じる人もいるのでしょう。あるいは、かつての私が戸惑いを覚えたように、自分の年齢がまだ「おばちゃん」・「おじちゃん」の域に達していないと考える人もいることでしょう。

 

「でも、おばちゃんなんだけど」 妻がポツリと吐いた言葉に、私は日頃から“空気を読まない”妻が懇親会で余計なことを言ってしまったのかと思いましたが、そうではなさそうでした。

 

妻としては、呼び方を変えたところで何が変わるわけでもなく、子どもたちからすれば、親の年代はみんなおばさんやおじさんなのだと言いたかったのだと思います。

 

若い頃から「おばさん」と呼ばれ、それに慣れてしまった妻からすれば、子どもたちからの呼びかけの言葉を“狩る”ことは無意味と感じたのでしょう。

 

歳は取るもの

今や私はどこからみても“おじさん”です。少し前までは、容貌や体力の衰えに抗う努力をしていましたが、生き物である以上、加齢を防ぐ手立てはありません。残るは「素敵なおじさん」と呼ばれるよう努力する道しか残されていません。それはさておき - 。

 

健康を維持するための適度な運動は続けるつもりですが、若い人たちと張り合おうとはしません。年齢を重ねて失うものを嘆くよりも、若い頃には思いつかなかったことや得られなかったことがまだまだたくさんあるはず - 歳は取るものということを受け入れると心が軽くなります。