和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

良しとする心

決められない人

私たちは生きて行く過程で数えきれないほどの取捨選択を繰り返します。

 

外出する時に着る服、食事のメニュー、デートの場所など、日常生活の中で生じる他愛も無い選択もあれば、進学、就職、結婚など人生の転機となる決断を迫られる重大な選択もあります。

 

二つ、あるいはそれ以上の選択肢を全て選ぶことなど、大抵の場合は出来ないわけで、何かを取ることを決めた時には、同時にもう一方を捨てることになります。

 

一得一失は避けられないと分かっていても、「あの時こうしていれば」とつい思ってしまうことがあります。もし、人生が何度でもやり直せるなら、ある時点まで時を遡り分かれ道のもう一方に進んで、どちらが自分にとって最適解だったのかを確認することが出来ます。最初の選択をした自分とパラレルワールドで第二の選択をした自分の、果たしてどちらが良い人生を歩んでいるのか ‐ 若い頃の私はそのようなことを夢想し、トレードオフのジレンマに悶々としたものでした。きっと傍から見ると、なんとも優柔不断な「決められない人間」と思われたことでしょう。

 

優柔不断の反動

どれほど悩んだところで、リアルな人生では自分にとって都合の良いパラレルワールドを見つけて逃げ込むことや、ビデオゲームのようにリセットすることも出来ません。徒に時間を費やさないためには一歩踏み出すしかないのです。もし、自分の選択が間違いとは言わないまでも、自分にとって最良のものではないと感じたなら、そこで仕切り直しです。

 

しかし、自らの意思で決めたことを変えるのは勇気が要ります。自分の選んだ道が正しいと言う確信や思い込みが強ければ強いほど、それを捨てることが難しくなります。

 

内心、もっと良い選択肢があったことに気がついても、自分の決断こそ正しいと言い聞かせ、“ブレない”自分を正当化し続け自縄自縛に陥る – それがかつての私でした。

 

二十代の頃の私は、それまでの十代とは打って変わって、決断したことを貫徹する“美学”に染まっていました。それは優柔不断の反動だったのかもしれません。

 

今思えば、就職して以来、自分に回って来る仕事に対して“ノー”と言う選択肢は無く、与えられた仕事は言われたとおりにやり遂げる選択肢しかない職場の影響だったのでしょう。決断、そして、実行。その繰り返しの中で、自分のしていることに疑問を持つゆとりが失われて行きました。

 

組織の中では往々にしてあることですが、一度機関決定した計画を変更するのは、決定した以上の困難を伴います。決定時の判断材料に欠陥があったとしても、起案した部署は自分たちの過ちを簡単に認めたがりません。

 

「もう決まったことなのだから」。何度その言葉を当時の役員や上司から聞かされたことか。決断、あとは実行あるのみ - 疑問を抱きつつも、一度動き始めた汽車に乗らない選択肢はありませんでした。そのような悪習が自分自身の行動にも無意識のうちに染みついてしまったのが二十代の私だったのだと思います。

 

自分で選んだ仕事、自分で選んだ生き方。途中でふと疑問が頭を過っても、「仕事とはそういうもの」、「生きるとはそういうもの」と言い聞かせてきました。結婚も子育ても然り。残業や休日出勤に明け暮れて、仕事以外が二の次になっても、「そういうもの」と自分を納得させて、適当に折り合いをつけていました。

 

自己正当化する自分に仕切り直しを求めるのは厄介なことです。これまで積み上げて来たものを土台から覆すことなど、誰も好んでやろうとはしません。私も例外ではありませんでした。

 

良しとする心

パラレルワールドの私が、三十代半ばに精神のバランスを失わず、五十代に差しかかっても健康そのもので、妻の看病で休業することも無い – そんな“安泰”な人生を送っていたなら、依然として「仕事とはそういうもの」とボヤキながら通勤電車に揺られる毎日を過ごしていることでしょう。

 

その世界の妻や娘たちは、家での存在感が薄い夫であり父親である私に、とうの昔に「そういうもの」と割り切って期待などしなくなっていることでしょう。

 

そして私は、「そういうもの」に疑問を抱いたとしても、仕切り直しの一歩を踏み出すことなく漫然と歳を取って行くのです。

 

全ては私の妄想の話です。現実に立ち返れば、自分自身や家族の問題に直面して、生き方の仕切り直しをした自分がいます。これまで生きてきて、自分の期待どおりに事が進まないことの方が多かった私ですが、その時々で“良しと思える”取捨選択を繰り返してきました。

 

今の私は、些細な選択にもこだわるようになりました。日々のちょっとした選り抜きに好運が隠れているような気がするのです。