和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

達成感とカタルシス

他人事

私が管理職を下りた直後、親しい同僚のひとりから連絡がありました。彼は、三十年積み重ねて来たキャリアをあっさりと捨ててしまった私の判断を残念がっている様子でした。

 

彼は、家族の面倒と仕事を両立させる手立てはあったはずと考え、誰とも相談せずに決断を下した私を水臭いと怒っていました。

 

私としては、自分や家族に関することは誰かに相談するものでは無く、自分で決めるしかないものと考えていたのですが、彼に私の気持ちが伝わったかは分かりません。

 

当の私も、自分の決断は決して浅はかなものではないと考えるものの、一時の感情で性急な判断をしてしまったのではないか、と当時の気持ちを振り返ることはあります。最善の選択が後にそうではなかったことが分かった経験を何度もしてきました。今回の選択が最善か否かを考えても、あるいは、後からもっと良い方法があったことが分かったとしても、下した決断を撤回することは出来ないわけですから、そのようなことを考えること自体に意味は無いのですが、時折そのようなことをくよくよと考えてしまうのは私の悪い癖です。

 

物事全般に亘って千思万考するなど私には出来ません。殊、自分のことに関しては、自らの感情に左右されます。人にアドバイスすることと自分の行動が一致しないことさえあります。

 

自分が上司の立場だったらどんなアドバイスをするだろうか。そんな詮無いことを考えたこともありました。上司の立場で自分にアドバイスをするとしたら、たぶん、そこには相手に対する配慮はあっても、感情を排した冷静さ – 悪く言えば冷淡さが存在することでしょう。他人事だから、一時的な感情で走っているかもしれない相手に対して、“相手のためを思って”アドバイスが出来るのだと思います。

 

以前の私なら、誰かが家族と寄り添う時間を大切にしたいと申し出たとしたら、その彼・彼女に今のポジションで何とか仕事を続けるよう慰留したことでしょう。もちろん、最後は本人の意思を尊重しますが、まずは仕事を続ける道を一緒になって探ろうとしたはずです。

 

我が事

家族の介護は、以前の私にとっては他人事でした。高齢の母親が独りで生活出来なくなったことを考えたとしても、もし、私がそのために介護離職をするにしても、それは今では無く、もう少し先の将来のこととしてそれ以上考えないようにしていました。

 

そんな私にとって、健康問題とは無縁のはずだった妻が闘病生活を余儀なくされたことは、正に青天の霹靂で、私の想定外の出来事でした。今まで他人事と考えていたことがある日突然我が事になりました。

 

当時の私が、職責を担い続けることと介護の両立を目指していたなら、おそらく、どこかの時点で立ち行かなくなっていたと思います。娘たちからは愛想を尽かされ仕事もこなせずに、結果として役職を全うできずに終わっていたことでしょう。そんなことを“くよくよ”と考えては、「だから、あの時の選択は正しかった」と自分を正当化する私がいます。

 

残念ながら、私は三十年余りの会社人生の中で大きな達成感を得ることは出来ませんでした。人生の目的を真剣に考えることは二の次、目の前の仕事に汲々としていた私は、仕事での完全燃焼を投げ出してしまったことと引き換えに、夫婦や家族のあり方について真面目に考える機会を与えられました。

 

そのきっかけは、私にとっては大きな試練ではありましたが、その中で光明を得られたことで、心の澱が浄化されたような気がしています。