和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

老いを楽しむ余裕

「老化現象」という言葉を耳にすると、以前の私はうんざりして、その話題には触れないように避けていました。

四十代半ばに差しかかり、記憶力や体力に衰えを感じるようになりました。歳とともにこれまで出来ていたことができなくなること、自分の持っている知力や気力が削ぎ落されていくことを自覚するのは、不安を通り越して恐れにも近い感覚です。

同じ頃、老齢の母が年を追うごとに急速に衰えていく様を見るにつけ、想像する自分の行く末を重ね合わせ、不甲斐なく侘しい思いにさせられました。

そんな私が、“老い”を嘆き悲しむものではなく、受け入れて楽しむものと思えるようになったのは、ここ数年のことです。

平均寿命と言われる年数の約三分の二を経過したところで、もう後がないと考えるのか、まだ楽しめる時間が“三分の一も”残っていると捉えるのか ― 要は自分の気持ち次第なのです。

あれができなくなった、これができなくなった、と落ち込むよりも、“まだ出来る領域”を意識することで、これから先の自分に残されている可能性に希望が持てるようになりました。

“領域”は自分の活動範囲とも重なります。今は、どこに行くにしても、何をやるにしても、誰かの手助けは必要ありませんが、やがて ― そうなりたくはありませんが ― 遠出するのも独りでは覚束なくなり、身の回りのことも満足に出来なくなる日がやってくるかもしれません。その日はまだまだ先のことかもしれませんが、もしかしたら、明日が“その日”にならないと断言することもできません。

だからこそ、老いていく自分を受け入れ、自分の領域を楽しめるうちに楽しむに越したことはない ― 私はそう思うのです。