和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

胸の奥の奥

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大人の振り

何をやってもうまく行かない時があります。良かれと思って行動に移したことが裏目に出て、かえって何もしなかった方が良かったのではないかと言うこともあります。

 

散々努力した - ベストを尽くした - 結果が報われない時、その責任を全て自分に帰すのはとてもつらいことですが、自分の行為は自分に返ってくるのが現実なのだと、この歳になって分かったような気がします。

 

“分かったような気がする”と言うのは、私の中の一方ではそのような達観に至っているものの、他方、納得し切れない思いが依然として燻ぶっているからです。

 

傍から「大人ですね」と言われたいから“分かったような”素振りをしているだけで、内心は誰かのせいにしたい気持ちが熾火のように燃え続けている状態なのだと思います。

 

家庭の事情

例年、年末から年明けは、来る4月の人事異動の準備が水面下で動き始める時期です。私が管理職だった頃は、部下の滞留年数を勘案して異動先を考え、その後任をどこから引っ張って来るかなどを関連部署の部長連中とすり合わせを行なったものでした。

 

今や私は部下を持たない気楽な身となり、そのようなことに頭を悩ませる必要も無くなったのですが、自分自身の身の振り方が新たな悩みの種になりつつあります。

 

年明け早々に三つ上の先輩社員であるAさんからメールが届きました。Aさんは関連会社に出向して二年経ちますが、その後任の話を私に振ってきたのでした。

 

何度かメールのやりとりをして詳しく話を聞くと、本社の人事部はAさんの本社復帰は時期尚早と考えているものの、後任を見つけることが出来たら検討しても良いと言う返事をもらっているとのこと。

 

当事者間で話をつけろと言うのが本当だとしたら、人事部は随分と投げやりな対応をするものだと、私は少し不快に思いながらも、Aさんの話を丁重に断りました。

 

私は上司にも人事部にも、“当面の間”家族と向き合う時間を大切にしたいと伝えています。その条件が叶うならどこの部署に異動することになっても厭わないのですが、家庭の事情を抱えた社員など諸手を挙げて歓迎してくれるところは無いようです。

 

さりとて、私の現在の直属の上司は元部下であり、こちらが繰り返し「気にする必要は無い」と言ったところで、それは気休めにしか過ぎず、相手の気遣いは空気で分かります。もし、私が部に残っているために仕事がやりづらいと上司や周囲の同僚が感じているなら、私はあまり長くここに留まっていてはいけないのかもしれません。

 

そんなことを考えていた矢先のAさんからの話だったのですが、本社であれ関連会社であれ、管理職の仕事は今の私にとっては荷が重いのでした。

 

これまでは、苦痛な仕事であっても何とかやり遂げようと言う気概を保つことが出来ましたが、家族と向き合う時間を増やしたい気持ちが強くなった途端、社内の調整業務や部下の管理など、常に頭の片隅にこびりつくようにしてプライベートな時間を邪魔して来たものが一層煩わしいものに思えてきました。

 

家族のことに専念したい。そのための働き方の見直し - 私の頭の中ではそのように整理がついていたはずだったのです。

 

逃げ口上

そんな自分の本音を会社の人間に打ち明けたことなどありませんでしたが、Aさんに“お前は家庭の事情を言い訳に逃げ回っているのではないか”と言われ、私は返す言葉を失ってしまいました。

 

私が管理職を下り、介護休業を取り、今や自分に任された狭い範囲の仕事を淡々とこなしているのは、闘病生活を続ける妻を支えるため、家族との生活を大切にしたいためです。

 

ところが、実のところは、嫌な仕事を放り出したかったから、妻の発病を渡りに船と利用したのでは無いか – もちろん、Aさんは妻の病気のことは知らないはず。私の“家庭の事情”の深さなど知らずに放った言葉なのでしょうが、私にとっては堪えた一言でした。

 

家庭の事情は逃げ口上なのか。私は今までそんなつもりなどありませんでした。しかし、もし、妻が病気にならず、以前のような毎日を過ごしていたら、私はあくせくしながら仕事を続けていたのでしょう。ここ数年はなかなか思い通りにことが進まず、達成感を得られない状態が続いていました。

 

だから、“渡りに船”だったのか。成果が上がらないまま仕事を中途半端に投げ出したのを家族のせいにしたのか。決してそんなことは無いのです。

 

しかし、傍から見れば、私は都合良く“家庭の事情”を理由にして楽な道を選んだ人間と思われているのかもしれません。

 

Aさんの言葉に悪気があったとは思っていませんが、私にとっては、ずっと否定し続けて来た胸の内の奥の奥を見透かされた気がして、すっきりしない日々が続いています。