和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

パワハラ対策と過剰な気遣い

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

苦い思い出の不意打ち

たまに、ぼーっとしていると、何の脈略も無く昔の記憶が頭に浮かぶことがあります。自分にとってトラウマとも言える嫌な思い出は、何度も現れるうちに、やがて意識上に浮かぶ前に「そろそろ来るな」と言う予兆を感じられるようになります。

 

以前は、別のことに意識を向けることで嫌なことを思い出さないようにしていたのですが、いつの頃からか、良い思い出も嫌な思い出も自然体で受け止められるようになりました。嫌な記憶こそ、目を背けずに受け止めることで自分なりに消化できるようになるものと考えたからです。

 

しかし、気持ちを整理する術が身についたと安心していると、すっかり忘れていた苦い経験や大恥をかいた想い出が不意打ちのように頭に蘇ってきて、嫌な汗を拭うことがあります。

 

過去の記事で何度かハラスメントについて触れました。中でもパワハラに関しては、その境界の線引きが私にとって難題の部類に入ります。

 

私自身、パワハラと言う言葉が一般的に使われるようになる以前から、上司の言動に悩まされてきました。ここでそれらを逐一論うことはしませんが、共通するのは、それによって仕事への意欲を殺がれると言う点です。

 

かつての終身雇用が当たり前の時代では、入った会社で定年まで勤めあげるのが“普通”。上司にしごかれようと、詰られようと、少しぐらい我慢しなければ、どこの会社に行っても務まらない – と言う考えが“普通”。社内がそのような雰囲気だと、たとえ人事部に「あの上司は問題ありだ」と訴えたとしても、ほとんど取り合ってもらえることはありません。

 

そんな時代に、若くして転職していく社員は稀でしたが、それでも、私の知っている範囲で転職の道を選んだ先輩や同僚は、皆、上司との関係に悩んでいました。私は会社に残る道を選んだ側でしたが、彼らと同じ悩みを抱えていたのだと思います。

 

そのような若手・中堅社員時代を経て、私は、部下を持つ身になったら、自分と同じような思いはさせたくないと常々考えてきました。そのため、管理職になり立ての頃は、私は自分がパワハラを行なう側にならないよう、部下に対する言動には過剰なほどに気を遣いました。

 

人を傷つける気遣い

私が幹部社員になりたての頃から、会社は管理職向けにパワハラ研修なるものを行ない、人事部が社内向けにメルマガ形式でパワハラ防止の啓蒙活動を行なうようになりました。

 

それと同時に、“部下を指導できない上司”が増えてきました。あくまで私の目線から見た印象ではありますが、今や、上司と部下の関係において、気を遣っているのはどちらかと言うと上の立場にいる人間の方です。

 

思うに、パワハラはグレーゾーンが広く、下位の人間がハラスメントだと思う“線”と上位の人間とのそれが一致することはなかなかありません。そして、そのギャップは思いのほか広いのです。上司が部下を指導する際に、どんなに言葉を尽くして語りかけても、受け手がそれによって「傷ついた」と言えばハラスメントと“認定”される可能性があります。そこまで行かなくても、上司の話し方や指導の仕方に問題ありとされてしまうことが往々にしてあります。

 

生真面目な上司ほど、指導しなければならない局面で、一歩踏み込めない自分の不甲斐なさと葛藤し、疲れ果ててしまうのではないでしょうか。私の勤め先で、中間管理職の病気休職が増えているのは、仕事のプレッシャーに加えて、部下の管理やチームビルディングが以前よりも扱いづらいものになったことも原因の一つではないかと考えます。

 

もし、部下に対して気遣いが必要だと思うのであれば、それは、“腫物に触る”的な遠慮では無く、ざっくばらんな上司・部下間の議論です。パワハラの認識のギャップは、双方がコミュニケーションを積み重ねて行くことでしか、理解や解消は出来ないのだと思います。残念なことに、管理職の中には、部下に対してそのようなコミュニケーションすら働きかけるのが辛いと嘆く者もいます。

 

私は、部下からパワハラだと苦情を受けたことはありませんが、行き過ぎた配慮のあまり、部下を傷つけてしまったことがあります。

 

彼女はシングルマザーで小学校低学年の子供がいました。異動当初、私は前任者から、彼女の家族構成と業務上の配慮が必要だと言う引継ぎを受けていたので、グループ内での仕事の割り振りには注意を払わなければならないと思っていました。

 

幸い、グループの他の部下たちから仕事の配分での不平は聞こえてきませんでした。そして、数か月ほどが過ぎたある日、私は彼女から呼び出されました。

 

彼女は開口一番、仕事の割り振りに不満があると言いました。私は子供のことを配慮した担当分けを心がけてきたつもりでしたので、彼女の不満顔にたじろいでしまいました。

 

実は、彼女は実家近くに住んでいるため、残業や出張の際の子供の面倒は親に任せられる環境だったのです。

 

私は彼女のことを、身内からのサポートも無く独りで子供を育てているのだと勝手に思い込んでいました。前任者の話を鵜呑みにしたこと、彼女から仕事の取り組み方について直接聞き出さなかったことは、私のミスでした。

 

その上で私は、できるだけ子供との時間を確保できるようにと、彼女の仕事量を調整し、また、本来彼女が適任であるはずの出張も他の部下に行かせるなど、最大限の配慮をしてきたのですが、それが彼女の目には差別されていると映ったのです。

 

彼女の不満は、家庭環境を理由に仕事を干されていると感じていたことでした。私は自分の勘違いで行き過ぎた配慮をしてしまったことを彼女に詫びました。

 

この話はもう10年以上も前の話ですが、今でも時々思い出しては、恥ずかしい気分が蘇ります。私は、間違った先入観に囚われ、相手の気持ちを傷つけてしまったのですが、パワハラにしても先入観にしても、その芽を取り除くには、上司や部下、あるいは同僚とのコミュニケーションが大事なのだと言うことを改めて感じた出来事でした。