和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

「こんなはずではなかった」に拘ると

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成功体験と自分への過信

過去の成功体験は自信にもなれば足枷にもなります。成功を重ねて行くほどに“勝利の方程式”は確固たるものとなり、自信は過信になります。

 

死ぬまで自分の“勝利の方程式”が通用する人はごくわずかで、ほとんどの場合、どこかで壁に突き当たります。どうせ壁に突き当たり苦悩するのであれば、それは早ければ早い方が良いと私は思います。

 

過信の雪玉は自分では壊せません。誰かに叩き割られるか、自分の重さに耐えられなくなって自壊するかです。

 

仕切り直し

私が通っていた高校は、所謂進学校でした。当時まだ親に従順だった私は、父の勧めるままにその学校を受験しました。中学校の担任からは無理だと言われた学校でしたが、何故か合格してしまったことで、私はその後の三年間を苦しみ抜くことになります。

 

試験に時の運が介在することは稀なのでしょうが、私にはそれがありました。勉強していたところが驚くほど的中したのです。その時、「たまたま運が良かったのだ」と自分を戒める気持ちが少しでもあれば、その後の学生生活も変わったのでしょうが、若き日の私はそのような殊勝な心掛けなど持ち合わせていませんでした。

 

高校二年まで、定期考査の順位は低空飛行を続けました。決して勉強をサボっていたわけでは無かったのですが、自分のやり方が間違っていないはずと言う拘りを持ち続けていたため、教師に教えを乞うと言うことが出来ずにいたのです。

 

大学受験の模試も、志望校と滑り止め全てがE判定。父親からは高校を卒業したら家業を継ぐように言われました。それでも、私はどこかで人生を甘く見ていたのでしょう。今までうまく行っていたのだから、これから先もうまく行くはず、と言う何の根拠も無い自信を捨てられずにいました。

 

人生に期待どおりの好運が何度も訪れることはありません。大学受験に失敗した私は、再チャレンジを許さない親への反抗から家を飛び出しました。しかし、今考えれば、親の方からすれば私を叩き出したつもりだったのかもしれません。

 

浪人時代から大学時代を通してお世話になったアルバイト先のガソリンスタンドのオーナー。その大学生の息子さんから、私は勉強の仕方にダメ出しをくらったばかりか、親への接し方、意固地な態度など、私の今までのほぼ全てを否定されたと思えるほど辛辣なことを言われました。

 

私は反発する気力を失うほどに徹底的に打ちのめされましたが、不思議と腸が煮えくり返るような怒りは起こりませんでした。私が自分の誤りにずっと気がつかない振りをしていて、それを息子さんは見透かしていたのかもしれません。あるいは、私にまだ改心の余地があると期待してくれたのかもしれません。そう考えた時、私は自分自身を恥じる思いが湧いて来ました。

 

浪人生活で、私は謙虚さや経験者の言葉に耳を傾けることの大切さを学んだのだと思います。まだ若い時分に考え方の仕切り直しが出来たことは私にとって幸いでした。

 

経験の抽斗

努力の甲斐無く結果が報われなかった経験を私は何度もしてきました。入学した大学は第一志望では無く、就職した会社も第一志望ではありません。

 

しかし、自分の願いどおりにならなかったとしても、そこが自分に与えられた場なのだとすれば、気持ちを切り替えて、そこで自分の花を咲かせることを考えた方が健全だと思います。

 

私は会社に入って何度か同じような言葉を耳にしたことがあります。「自分はこんなところにいるはずでは無かった」。ある時は同期入社の同僚から、ある時は中途採用の部下から。年の離れた先輩社員からも似たような言葉を聞かされたことがありました。

 

私と同じく第一志望では無い会社に入社したからか、止む無く転職を余儀なくされた愚痴からか、思いどおりに昇進出来なかった恨みからか。理由はそれぞれですが、思い描いた“あるべき自分の姿”と現実の自分とのギャップを認めることが出来ずにいる人はもったいない気がしてなりません。

 

決してその人の努力が足りなかったことだけが理由では無いでしょう。時の運は好運だけをもたらすものでは無く、歯を食いしばって苦労して来た人に不本意な結果を与えることもあります。

 

報われない努力があるからと言って、端から努力は不要と言うわけではありませんが、報われなかった努力の過程で得られたものは、きっといつか役に立つと私は自分を納得させてきました。

 

先述の中途採用の部下は、中央官庁から民間企業に転職し、その後再転職して私の勤め先に入ってきました。

 

彼はよく「前職では」と言う言葉を使いました。前職ではもっと下の人間がやること、前職ではもっと権限が与えられていた、前職では - 。しかし、話をしていると、彼の言う“前職”は、ついこの間まで働いていた民間企業のことでは無く、お役所での仕事を指していることが分かりました。彼にとっては上級官吏こそ自分の前職だったのでしょう。

 

キャリア官僚であれば、若くして課長補佐にもなれるのでしょうが、民間企業にはキャリアもノンキャリもありません。しかも人手不足な職場では管理職はプレーイングマネージャーでなければ務まらず、担当業務の選り好みをする余裕など無いのが現状でした。結局、彼は自分に与えられた仕事を“雑巾掛け”と唾棄した挙句に会社を去って行きました。

 

飲み込みが早く、頭の回転も速い彼は、もう少し辛抱して仕事を覚えることが出来れば、きっと素敵な花を咲かせることが出来たでしょう。

 

“こんなはずでは無かった”自分が今の自分。自分の中で“あるべき姿”を捨てきれずに拘泥し続けては、前に進むことは出来ないのだと考えます。