和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

余計な手間

年末ののんびり

今年も残すところ一か月を切りました。この二年間、コロナ禍の影響もあり年末年始に親族が一同に会するようなこともしなくなりました。今年も家族四人でゆったりと新年を迎えることになりそうです。

 

以前は、年末年始の貴重な長期休暇を無為に過ごしてはもったいないと、いろいろと予定を詰め込んだものですが、忙しない年の瀬の後、心と体をリフレッシュさせるにはのんびりするのが一番と思うようになったのは、私が歳を取ったからなのでしょう。

 

余計な手間

自粛ムードが緩まってきて、私の勤め先では今年は納会を復活せるような噂がありました。しかし、聞くところによると、労働組合からの大反対で今年“も”納会は中止が決まり、納会そのものを廃止すべきとの声も上がったようです。仕事が終わったらさっさと帰宅したいと言うのが若手・中堅社員の正直な気持ちなのでしょう。

 

これまでの納会では、社長が各部署の“労をねぎらう”ために回ることになっていたのですが、それはすなわち、社長が回って来るまでは納会を“お開き”にすることが出来ず、部署によってはダラダラと時間を潰すこととなり、これが悪評を買っていました。

 

仕事納めの日は午後三時で業務を終了して、それぞれの部署で納会を行なうことが習わしとなっていました。午後三時まで仕事をするとは言え、若手社員は朝から買い出しに駆り出されるので、その日は納会のために出社しているようなものでした。

 

私もそうでしたが、若手社員の中には、納会のために年末年始の帰省や旅行の日程を調整したり、年ごとに同僚と交代で休暇のやり繰りをしたりしてきたはずです。それが、若手・中堅社員の退職が目立つようになり、近年は納会の準備要員も“人員不足”になっていました。

 

私がまだ部長だった頃、納会の買い出しを私と二人の課長でやったことがありましたが、部内では好評だったものの、よその部署の幹部社員からは不評でした。

 

これまでは部員が多かったからこそ、飲み会の幹事などを持ち回りしてもそれほど負担にはなりませんでしたが、最早、誰が見ても、部下に雑用を押し付けられるような状況ではありません。

 

飲み会のセッティングも納会の買い出しも、誰でも出来る仕事であるなら自分でやればいいだけ。それを上司が率先してやっても部下から文句が出るはずはありません。習わしに拘泥して、“雑用は下っ端の仕事”としてしまえば、日頃から手が足りない働き手にとっては余計な手間が増えるだけで、その立場からすれば、納会など不要と考えても無理はありません。

 

仲間意識と親睦

納会が中止になった年から、仕事納めの日は休暇を取得する社員が増えました。昨年末は仕事納めの日が火曜日だったので、前日の月曜日から休暇を取得した社員がかなりの数に上ったと記憶しています。

 

社内での納会は古き良き時代の遺物でしかないことが分かりました。納会をやることに文句は出ても、納会を中止することに社員から文句が出たと言う話は聞きません。一年間苦楽を共にした社員たちは、それぞれ気の置けない仲間で集まって忘年会をしているはずで、それが本来あるべき姿だったのではないかと、私は今さらながらそう思います。

 

結局、私も従来の習わしに疑問を感じつつも自分でストップの号令をかけることが出来ませんでした。コロナ禍と言う外からの力が加わったことで、無くても困らない余計なものを取り除くことが出来たのだと思います。

 

思えば、仕事始めの日の賀詞交歓会も私が海外駐在の間に廃止になっていました。以前は、大会議室で行われる社長の年始挨拶に引き続いて酒が振舞われましたが、今は仕事始めも“通常業務”になりました。

 

私と同じ年代の社員からは、賀詞交換会や納会が無くなり、忘年会もめっきり減ったことを嘆く声が聞かれました。その手の社内行事を好む社員は、会社ではすでに高齢者の域に達していて、“社員の親睦”や“仲間意識”と言った美しい言葉は、若い世代には刺さらなくなっています。彼ら・彼女らにはそのような会社のお膳立ては不要で、自分たちで必要なネットワーク作りに励んでいるのだと思います。