和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

時間の引き算(2)

労働生産性の土台

私の勤め先では、どの部署も例外無く“労働生産性の高い組織作り”を目標に掲げさせられています。要は、社員の残業時間を減らして有給休暇の取得率を上げよ、と言うことです。

 

人材流出が止まらない会社において、社員の残業を減らして、なおかつ休暇を取りやすい環境を整えるのは無理があります。

 

本来必要とされる“定員”を満たしていない部署がほとんどです。組織目標を完遂するための労働時間の総量が同じなら、人が減った分、各人の労働時間が増えるのは小学生でも分かる話です。慢性的な人手不足は、採用が思いどおりに進まない昨今の状況を見れば、今後改善されることなど期待できません。

 

私の部署では、かつて一年足らずでしたが、残業ゼロを達成した時期がありました。今は当時よりも部員が減ったこともあり、残業せざるを得ない部員がいるものの、それでも、他の部署に比べればまだ健全な職場だとは思いますが、残業ゼロに取り組んだ当時、徹底的に無駄な仕事を無くして、社内外からの要求に応えるための必要最低限の業務に絞り込みを行なったため、さらなる改善余地はほとんど無く、今の体制で残業ゼロを再び達成することは叶わないことでしょう。

 

自らの努力で残業を減らし休み易い環境を整えた部員が、人手不足と言う自分たちでは如何ともし難い理由で負荷が増えることに堪えられるのか、私は大いに不安を感じています。

 

労働生産性を高めるために必要な土台、すなわち、適正な人員配置は会社が考えるべきものであって、土台がぐらついているのに、生産性を上げることを社員に求めるのは、会社が自らの見識の低さを曝け出しているようなものです。

 

以前、別の記事で触れましたが、業務の効率化は全社的な取り組みとして足並みを揃えなければ、その効果は薄まるどころか、真面目に効率化に励んだ方にしわ寄せが来る結果にもなりかねません。真摯に対応した方が割を食うのでは、効率化に手を出す人間はいなくなってしまいます。

lambamirstan.hatenablog.com

 

時間の振り分け

私が若い頃は、会社はまだ残業時間削減の取り組みなどしていませんでした。もちろん、労使協定で決められた上限はありましたが、社員の中には、生計維持のための残業をしている者も少なく無かったと思います。残業代に依存する一部の社員にとっては、仕事は効率的で無い方が都合の良いことだったのです。

 

また、当時私が働いていた部署では、業務の分担は行き当たりばったりで、仕事が片付かない同僚の分は、手の空いている者が手伝うことが当たり前でした。

 

工夫して自分の担当業務を所定時間内に終えることが出来たとしても、隣りの席の人間の仕事が片付いていなければ、それが自分の仕事として降って来ることになります。そのような個人レベルでの“効率化のジレンマ”は当時では当たり前のことでした。

 

私が部長時代に残業ゼロに取り組んだ際に最初にしたことは、業務分担を固定化することと、年間の休暇予定を各部員に立ててもらうことでした。

 

業務分担を固定化することによって、各人が出来るだけ同僚の手助けに頼らずに、所定の就業時間内に仕事を片付ける工夫を考えてもらいました。もちろん、仕事には想定外のことが起きるのは十分あり得ることなので、そのような場合には比較的余裕のある部員がサポートするのは当然です。しかしながら、年間の業務スケジュールから予見出来る仕事に関しては、閑散期のうちに準備を進めることで、負荷の均衡がある程度可能になります。

 

また、有給休暇日数の半分程度は、家族のイベントなどのために休暇を取るよう各部員に働きかけました。数か月先の休みの予定をカレンダーに書きこむことを躊躇する部下もいましたが、部内でお互いの休暇予定を把握しておくことは、休暇取得に伴う日本の会社的な“気後れ”を取り除くことになると考えました。

 

年間の休暇予定を立てることなど、普通に行なっている会社も多いのでしょうが、超保守的な私の勤め先では、そのような普通のことはまだ浸透し切ってない状況でした。部員の中には、休みの予定など立てても意味が無いのではと懐疑的な者もいましたが、まずはそのような意識を変えるところからスタートしました。

 

残業時間の削減と休暇取得率の向上は、部員には非常に“受け”が良かった半面、終業チャイムと共に帰宅の途に着くのは、残業を減らせない一部の部署にはあまり良い印象を与えなかったようです。

 

所定の就業時間内に任された業務をこなしているのですから、仕事をサボっているわけでは無く、会社が掲げる労働生産性の向上にも貢献しているにも拘わらず、私の部署があまりにも短期間で残業ゼロを達成してしまったことに対して、私は幹部会で突き上げを食らいました。業務への支障を疑う声もあれば、これまでの業務量が残業を必要とするほど多く無かったのだと、根拠無しに成果を否定する者もいました。

 

他の部署の部長がどう思おうと、残業無しで仕事が回っている事実は変わらず、元々の業務量など関係無いのです。

 

会社が業務の効率化を本気で進めたいなら、残業無しで目標を達成することに対してインセンティブを与えても良いくらいだったのです。“成果主義”を標榜しながら、管理する側が部下の“やる気”を勤務時間の長さで量っている間は、部下の方もそんな上司の顔色を見ながら仕事をしているのですから、残業時間を減らすことなど出来ません。

 

そんな会社も、世の中の流れに抗うことは出来ず、今や一般社員の残業時間は劇的に減少しました。その分、幹部社員へのしわ寄せは看過出来ないところまで来てしまいましたが、それはまた別の話です。

 

かつての一般社員が半ば習慣的に残業をしていたのに対して、今の一般社員は就業時間内で仕事を片付けることが習慣化しています。

 

限られた時間で家事のやり繰りをするのと同じく、決まった時間の中で工夫して仕事を片付ける - 今の若い世代の人々の方が、私たちの世代よりも時間の使い方に関しては長けているのかもしれません。

 

自分のプライベートを充実さえようとすると一日は忙しく過ぎて行きます。優先度の高い予定のための時間を差し引きすれば、仕事に費やせるのはほぼ所定の就業時間だけとなります。そして、退社時間までに仕事を片付けようとする意識を持てば、自ずと業務の効率化を考えるようになるものなのです。