和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

有休消化とワーケーションの壁

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休みも仕事のうち

年末年始の休み。私の部では、緊急事態宣言も解除されたことから、一昨年生まれた子どもを親に初めて会わせると言う同僚もいます。親御さんにしてみれば、待ちに待った孫の顔を直に見ることが出来るわけで、さぞかし待ち遠しかったことでしょう。

 

年末年始やお盆は、民族大移動の時期になりますが、最近、特に若い世代では、あえて混雑する時期を避けて休みを取る社員が増えました。それは、コロナ禍とは関係無しの、ここ数年の傾向だと思います。

 

私の勤め先も、かつては社員に対して、夏と冬に“一週間以上の休暇”を取得するよう奨励していましたが、今は、通年で“会社推奨休日”を指定しています。飛び石連休の狭間の平日や三連休の前後などに社員に休みを取ることを推奨する日を設けて、有給休暇取得を促すのが目的です。しかし、それがどれだけの効果があるのかは定かではありません。

 

私がまだ部長職だった頃、部下全員に年間の休暇スケジュールを立ててもらい、有給休暇を完全に取得するように働きかけました。もちろん、仕事の都合上、予定していた休みをキャンセルせざるを得ない社員もいましたが、年度初めに部の全員がそれぞれの休みのタイミングを知ることで、部内に休暇を取ることに対する気後れを無くそうと言うのが目的でした。

 

これは、私の思いついた妙案では無く、かつて私が出向していた海外企業で行なっていたものでした。彼の地では、部下に有給休暇を取得させるのは上司の務め。社員は予め年間の仕事と休暇の日程を立てるので、翌年に未消化の休暇を持ち越すことなどありませんでした。

 

私は、駐在から帰国した直後に、人事部にそのアイデアを採用するように勧めたのですが、「うちの会社には馴染まない」と一蹴されたため、自分の部署で試してみることにしたのです。

 

最初、私の部署でも“計画的に”休みを取ることに抵抗を感じる部員がいました。自分や家族が病気になった時のために休暇を取っておきたいと言う者。予定外の仕事が舞い込んで来るかも知れず、一年間の休暇スケジュールなど立てられないと言う者。理由は様々ですが、休みは仕事を片付けてから取るものと言う意識が抜けないと、休暇取得に対するある種の罪悪感にも似た後ろめたさを払拭することは出来ないのだと感じました。

 

また、海外の企業では有給休暇とは別に傷病休暇があり、けがや病気を患った場合でも有休を“温存”できる仕組みがありましたが、私の勤め先ではそのような制度はありません。とは言え、私の部署では、前年に消化し切れなかった有休を持ち越している者がほとんどだったため、万が一、傷病で休まざるを得ない場合でも何とかなると、私が半ば無理を言って部員の面々に年間の休暇スケジュールを立ててもらいました。これが上手く行かなければ止めれば良いだけの話。まずは実験開始となりました。

 

残業時間を大胆に減らしたことは別の記事で触れましたが、有休取得率が飛び跳ねたことも“余計な仕事”が私の部署に押し付けられた原因でもあります。

lambamirstan.hatenablog.com

 

仕事量の妥当性を定量的に決めることは出来ませんが、各部員が思い通りに休みも取れず、日々残業をしなければこなせない仕事だとするならば、何かがおかしいと気づかなければなりません。残業せず、有休をきちんと消化出来るのが、適切な仕事量なのだと思います。

 

それから数年経ちましたが、今では社内に導入された時間管理アプリに各自の予定を入力することとなり、だいぶ先の休暇を周囲に知らせることも普通になってきました。有休取得率は毎月の幹部会で報告され、取得率の芳しくない部署は人事部から警告が出されるようになりました。我が社も、少しずつではありますが、休みを取りやすい会社に変わろうとしているようです。

 

ワーケーションの遠い道

一昨年の春に在宅勤務制度が導入された時、人事部は社員に対してリモートワークに関する意識調査を行ないました。勤務場所について様々な議論がありました。コロナ禍で移動が制限されていた状況でしたが、制度設計の途上では、ポストコロナの環境を見据えた働き方についてリモートワークを認めるのであれば、自宅以外の場所で仕事をすることも認めるべきと言う声は意外に多く聞かれました。

 

そのような議論の中で、ワーケーションの導入を真剣に考えようとする動きがありましたが、仕事とプライベートの“けじめ”がつけられないとの声も多く、本格的な検討が行なわれないままに立ち消えとなってしまいました。

 

リモートワークそのものが技術的に可能となっても、それを受け入れる側の意識改革が進まなければ、どんなに良いアイデアでも採用されることは無いのでしょう。他方、何か新しいことを始める時には試行錯誤を繰り返して最良の解を求めることも有りだと思うのですが、あまりにも進歩的なことに手をつけるには、私の勤め先はまだまだ保守的なのだと感じました。