彼からの手紙
彼からその手紙が届いたのは、退職して三か月余り経った頃のことです。メールに添付された手紙は、細い毛筆体のフォントで認められていて、気軽に読むものでは無い雰囲気を醸し出していました。
入社七年目、海外駐在中に不調を訴えて帰国した彼は、そのまま病気休職扱いとなり、約二年後に退職しました。
私は、彼が短期駐在に出るまでの一年足らずの間、仕事でつながりがありました。仕事が出来る以上に周囲への気配りに長け、物事を円滑に進めるための術を心得ていたところは、同年代の他の社員には無い、彼独特の強みでした。
彼が大きな悩みを抱えていたことは、その手紙を読むまで私は気づきませんでした。表面的には朗らかで思い詰めたようなところも見られなかったので、私はある意味彼に騙されていたのでした。他の部署の人間だったとは言え、もっと折に触れて悩みを聞き出すことが出来ていれば、また結果は変わっていたかもしれない - そう考えるのは私の思い上がりですが、有能な後輩としてだけでは無く、魅力的な人間性を備えた彼が会社を去ってしまったことは、今でも残念で仕方がありません。
彼と私の違い
彼の手紙は、私が彼と知り合う四年前の出来事から始まっていました。異動先の直属の上司や同僚との人間関係、そして長時間労働。本来上司が受け持つべき他部署との調整も彼がやらされ、彼の本来の業務をこなすために残業が増える – そんな悪循環が続く中で、彼は肉体的にも精神的にも疲弊していきました。
やがて彼は、睡眠障害を患うこととなります。睡眠時間は徐々に少なくなり、毎晩一~二時間ほどしか眠れない日々が続きます。
私と知り合う少し前から、彼は心療内科へ通い始めるようになりました。抗うつ剤と睡眠薬を常用しながら仕事をするようになった彼は、会社に知られることを恐れつつも、直属の上司に自分の苦しみを知ってもらい状況を改善してもらいたいと訴えましたが、糠に釘だったようです。
もし、彼がこの時に仕事をしばらく休むことが出来たなら、状況は変わっていたことでしょう。当時を振り返ってみても、私は彼の様子におかしなところを見つけることが出来ませんでした。しかし、彼の病状は悪化の一途をたどっていたのです。
彼が心療内科に通院していることを会社が把握していたなら、彼に海外駐在の話はありませんでした。しかし、彼の直属の上司以外、それを知る者はいませんでした。彼としては現状から抜け出したい思いと、環境が変われば体調も良くなるのではないかとの希望もあり、悩んだ挙句に転勤の話を受けることとしました。
ところが、体調の悪化は環境を変えただけで改善するような域を超えていたようです。彼の手紙によると、駐在地での生活は刺激的で、職場の雰囲気も良かったものの、自分の体調が快復に向かうことなく、むしろ、新しい仕事を覚えることに必死になる中で体調はさらに悪化したと言います。
彼の頭の中はいつも靄がかかった状態で、仕事に集中出来ず、簡単なことを決断するにも長い時間を必要としました。そして、ある朝、睡眠不足のまま職場に出向き仕事を始めると、書類の内容が頭に入ってこない状態になっていたそうです。文章は活字の羅列で、彼はその意味が全く理解出来ずにパニックになりま
した。
今まで自分自身を支えていた仕事に対するやる気は消え失せ、とにかく一刻も早く帰国して休みたいと、彼は上司に帰国を願い出ました。その段になって、会社は初めて彼が深刻な状態であることを知り、急遽帰国させて産業医との面談の後に病気休職扱いとなりました。
結果論でしかありませんが、彼はもっと早くに一旦仕事から距離を置くべきだったのだろうと思いました。私は三十代半ばで精神的に不調となった時、しばらく休養した後に様子をみながら復職しましたが、もし、あの時、騙し騙しに仕事を続けていたら、取り返しのつかない状態まで追い込まれていた可能性もあります。
体同様、心も壊れるもの。暴飲暴食や夜更かしをすれば体を壊してしまいます。心も無理が高じれば不調の坂を転がり落ち、止められなくなってしまうのだと思います。
私と彼との間には然程大きな違いはありませんでした。ちょっとした道選びの差で私は彼になっていたかもしれません。
治療の道
彼の手紙から、病状の改善を窺うことは出来ました。帰国後、治療を開始した当初は、文章の内容が理解出来ないことに加えて、感情の起伏が無くなり、洗面や入浴など簡単なことでさえ行動に移すのに時間がかかったようです。そんな状態なので、近所への外出すらしなくなり、それが彼の孤独感・疎外感を強めることになりました。
その後、治療が進むにつれて、外出の機会も少しずつ増え、気の置けない友人とも会話が出来るまでに快復して来たそうです。お医者さんからは仕事復帰の許しは出ていないものの、彼はいつかまた自分に合った仕事を見つけることを諦めていません。
彼はまだ三十代前半ですから、これから先のことを考えれば休養期間は充電期間でもあります。いつかまた、笑顔の彼に会える日が来ることを願っています。