和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

娘の気づき

運の良い娘

下の娘の就職先が決まり、親としてはほっと一息つけたのですが、当の本人は最近少し沈みがちです。内定が決まった会社の人事担当者から字の汚さと語彙力の低さを指摘されたのが理由のようでした。

 

これまで内定先とのやりとりは主にメールで、送信前には妻や上の娘が誤字・脱字を確認していました。そのため、先方も娘の日本語力の低さに気がつかなかったのです。

 

私から見て、帰国子女であることを最大限考慮しても、娘の日本語力は酷いものでした。

 

小学一年の秋から中学三年の夏までの約八年間を英語圏で過ごした娘は、英語の能力と引き換えに母国語の能力を置き去りにしてしまいました。

 

現地に渡った後、娘たちは現地校に馴染むまで苦労しましたが、親としては不登校になりかけた上の娘の方を心配していました。

 

他方、下の娘は、しばらくはスクールバスから泣いて下りて来るような有様でしたが、やがて親が目を見張るほどの早さで現地での生活に溶け込んで行きました。

 

数年経った頃、下の娘は週末の日本語補習校に行きたがらなくなりました。それでも親としては、いつか日本に帰国するのだからと娘を宥めすかして学校に通わせました。漢字検定の勉強もさせました。

 

しかし、日本に帰国が決まった時、娘の漢字の能力は小学校中学年レベルに留まっていました。字も中学生が書く字ではありませんでした。

 

私は、下の娘のことをもっと気に掛けるべきだったと思ったものの、本人は帰国後に運良く帰国子女を受け入れてくれる中高一貫校に滑り込むことが出来て、親の心配をよそに学生生活を謳歌しました。そして、大学も担任の先生の反対を押し切って受験した第一志望の学校に合格しました。

 

娘が全く努力せずにここまで来たとまでは言いませんが、運が良かったのは確かでした。そして、この程度の努力をすれば足りるのだと言ったぬるい考えに染まってしまったとしても仕方のないことでした。

 

“それなりの”努力で期待どおりの成果を得られるなら何も心配する必要はないのですが、それでも、こんな好運がこの先も続くとは思えないのです。

 

勉強が全てではありませんが、社会に出るまでの間に、目的を達成するために血が滲むような努力や何かを掴むために必死になる経験をしてこなかった娘が、将来大きな障害に突き当たった時にそれを乗り越えられるのだろうか、と私は不安を感じています。

 

母国語の大切さに関しては、私も妻も娘には何度も言って聞かせてきたのですが、これまで彼女はまともに取り合いませんでした。

 

それが今は、私がこの原稿を書いている間も隣の部屋で漢字検定の問題と格闘しているようです。内定先の担当者からどれほど辛辣な言葉を投げかけられたのかは分かりませんが、本人としては余程のショックだったのは間違いなさそうです。

 

ついこの間まで娘は、卒業までの半年間、思いっきり羽を伸ばそうと企んでいたようですが、親としては机にかじりついて勉強した経験が娘の将来に活かされることを願っているところです。

 

娘の気づき

上の娘は、今仕事の合間を縫ってある資格を取得するための勉強に励んでいます。これまで、親としては、娘のおっとりした内気な性格が気になっていました。休日も手持無沙汰な時間を過ごしていることの方が多かったのですが、社会人二年目を過ぎた頃から心構えが変わったのか、自室で勉強している時間が増えたような気がします。

 

娘は、自分のやりたいことが見つかったことが励みになっている一方で、自分の自由になる時間が少なくなったことを悔やんでいる様子です。学生時代は、何かに打ち込む時間をいくらでも作り出すことが出来たのに、それをしてこなかった。もし、自分が子どもを産んだら、小さいうちから勉強の大切さを教えたいと真顔で話します。

 

妻も私も娘たちには“勉強の大切さ”を折に触れ説いてきたつもりだったのですが、彼女たちの心を動かせなかったのは、親として至らなかったところです。

 

そんなことを言うと、妻に怒られてしまうかもしれません。妻は私以上に娘たちの勉強を見てきました。私はむしろ、親の押し付けがかえって娘たちの意欲を殺いでしまうのではないかと、妻に対して本人たちの自主性に任せるように言い含めていたくらいなのですから、突き詰めると私に甘いところがあったのだと思います。

 

とは言え ‐ これは自分への言い訳ですが ‐ 、私自身の経験を振り返ると、自身の考え方を改めるきっかけは、誰かに諭された時では無く、自分で気づいた時でした。自分のしてきたことは全て自分に返って来ることに気づいた時に、自分が取るべき道を知るのだと思います。

 

二人の娘はそれぞれ状況が異なりますが、今小さな転機を迎えているのかもしれません。