和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

子育ての終わりに

親の期待

子どもの幸せを願わない親はいないのでしょうが、妻や私が親として子どもにとっての幸せが何なのかを本当に理解しているのかと言うとあまり自信がありません。

 

詰まるところ、子育ては手探りの繰り返しで、終えた瞬間に結果が判明するものでは無く、その本当の成果は子どもが一生を終えてみなければ分かりません。順番からすれば、親は子どもの一生を見届けることなど出来ず、子育ての成否を知らないうちに先立つことになります。

 

お金に苦労しないこと、健康であり続けること、生きがいを見つけること。過去の記事で何度も触れましたが、幸せか否かは主観の問題なので、傍から見て幸せそうに見える人も、本人は幸せから遠いところにいるかもしれません。その逆もあり得ます。子どもの幸せも然りで、親の期待がどのようなものであれ、それがそのまま子どもの望みであるとは限りません。

 

我が家の場合、娘たちが小さい時から、妻は「やりたいことは何でもやらせてあげたい派」でした。それは、彼女自身が子どもの頃に我慢を強いられてきたからだと言います。そこには、妻の両親の考え方や、実家の経済的な事情もあったのでしょうが、妻としては、子どもの希望を叶える後押しをするのが親の役目と言って憚りませんでした。

 

上の娘は小さかった頃、いろいろな習い事をしていました。ピアノ、水泳、新体操など、全て同じ幼稚園に通う友達が習っていたものです。今思い返すと、娘が強くせがんだわけでは無く、妻が娘に習ってみたいか尋ねて始めたものでした。

 

娘は、良い意味でも悪い意味でも素直な子でした。自己主張の塊のような下の娘と違い、小さい時から親の気持ちを察するのに長けていたと思います。そんな娘ですから、自分の本当の意思かどうかはともかく、妻に聞かれれば、“素直に”首を縦に振ることになります。

 

しかし、自分が本当に好きで習い始めたものでなければ、上達もしなければ長続きもしません。結局、新体操以外は一年も持たずに止める羽目になりました。通うのが嫌で堪らなくなってしまった娘を見た私が、妻を説得して止めさせたのです。

 

一度始めたことを簡単に止めてしまうのは、たしかに褒められたことではありませんが、私としては家で辛い顔をしている娘の姿を見たくなかったと言うのが本心でした。私が妻の大反対を押し切ってまで娘の習い事を止めさせたことが正解だったかどうか、それは分かりません。忍耐力を養うためなら、少しくらいつらい思いをしても、それを乗り越えることを教えるのが親の役目だったのかもしれません。ただ、当時の私は、辛抱や我慢は、娘がもう少し大きくなってからいくらでも学ぶ機会はあると考えていました。

 

娘の習い事と言うと、もう一つ、妻と大喧嘩したのは小学校の“お受験”でした。当時、すでに中学校受験を目指す子どもが増えてきているのは知っていましたが、幼稚園児の娘に受験勉強を強いるのは私には出来ませんでした。そもそもそのような前提で我が家の収支計画など考えておらず、これに関しては、娘の意思確認以前に、私の大反対で取り止めになりました。

 

結局、おっとりした長女にとっては、習い事で埋め尽くされたスケジュールよりも、独りで絵を描いている時間や仲の良い友達とままごと遊びをする時間の方が大切だったのだと思います。親が子に寄せる期待や、“良かれと思って”子に強いることは、必ずしも本人の望みと一致するものではありません。

 

子育ての終わりに

下の娘は希望する企業から内定をもらえたので、来春、無事に大学を卒業出来れば、私たちの子育ては終了となります。

 

去年から続いていた娘の就活では、当の本人よりも妻の方が熱心でした。それは - 私の穿った見方ですが - 妻本人が自身の闘病への不安を打ち消すためだったのではないかと思っています。

 

子どもが将来、独立して生計を立てられるようにサポートするのは親の務めだとは思いますが、それも学業を終えるまでであって、何を生業にして生きて行くのか、そこから先は親が口を挟んではならないと、私は考えていました。

 

上の娘の就活の際には、私は妻にそのように言い含めたのですが、今回は同じことを妻には言えませんでした。ただ、不思議なことに、“自己主張の塊”が就活の間、ほとんど妻とぶつかり合うようなことが無かったのは、娘なりに察するものがあって、親としての子育ての総仕上げに付き合ってくれたのではないでしょうか。

 

この週末に、娘の卒業写真の“前撮り”をして、その後、久しぶりに家族四人で外食をしました。その時、娘は感謝の言葉を手紙にして妻と私にプレゼントしてくれました。相変わらず下手な字で誤字もたくさんありましたが、手のかかった子からそのようなことをされ、私としては胸に込み上げて来るものがありました。きっと妻は私以上に嬉しかったに違いありません。