和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

友人

出不精

新型コロナにまつわる自粛ムードが解けて、娘たちが外食する機会も増えました。平日は家族全員そろって食卓を囲む機会も減りましたが、これが本来の日常だったのだろうと思います。

 

私にも社内外で懇意にしている人から声をかけてもらう機会が増えましたが、夜の宴席のために外出するのが億劫に感じてお誘いを断っています。自粛生活で家でのくつろぎに楽しみを見出したおかげで私は出不精になってしまったようです。

 

もっとも、外出が面倒に感じるようになっただけで、気の置けない知人との語らいまで嫌いになったわけではありません。コロナ禍の間も数か月とおかずにオンライン飲み会をしてきた友人がいます。同業他社の技術者で、かつて海外駐在中に現地で親しくなって以来の付き合いです。

 

悲しみの後

私たち家族が駐在地に赴任した時、彼は前の奥さんと二人暮らしでした。決して交友関係の広くなかった私たちにとっては貴重な知り合いでした。家族同士の付き合いは二年足らずで終わりましたが、とても良い思い出をたくさん作ることができました。

 

帰国後の彼から届いたメールには、奥さんの闘病に寄り添う彼の様子が書かれていました。こちらの顔が綻んでしまいそうな微笑ましいエピソードが盛られていたのは、闘病生活の重苦しさを見せまいとする彼なりの気遣いだったのだと思います。

 

半年近く彼からのメールが途絶えた後、日本では桜の季節を迎えようとしていた頃に、私たちは彼の奥さんの訃報に接しました。久しぶりの彼からのメールは淡々とした内容だったので、彼の心情を推し量ることはできませんでしたが、最愛の伴侶を失った悲しみの大きさは想像に難くありませんでした。

 

それから彼とのやりとりは途絶えてしまいました。時たま、彼はどうしているのかと気になることはありましたが、私は彼に様子窺いのメールを送ることを躊躇い続けていました。

 

二重の喜び

数年ぶりの彼からの便りは、私たち家族の帰国が決まった直後に届きました。再婚とおめでたの二重の吉報でした。

 

私の帰国後、数年ぶりに再会した彼は少しふっくらとしていました。すでに五十代半ばになっていた彼は、「この歳になって育休を取ることになるなんて」と愚痴をこぼしながらも、まんざらでもない様子。私は彼の幸せのお裾分けでとても良い気分を味わうことができました。

 

それから七年、彼とのつかず離れずの関係は続いています。最近は小学三年生の男の子と一緒にゴルフを回れるようになったことを聞かせてくれました。

 

彼とは、お互いに距離感が分かっていて、相手のことを根掘り葉掘り詮索せず、他の人には話さないことを話せる安心感があります。私にとって、家族以外で気兼ねなく会話を楽しめる存在は多くありません。そんな彼との付き合いをこれからも大切にしていきたいと思っています。